生きる気力を失うほどの潜伏生活
7月15日、失意の夫妻はポンメルンからベルリンに戻った。とはいえ、ポンメルンに潜伏した経緯から考えれば、いつまでもベルリンに留まれないことは明らかだった。
新たな潜伏先を見つけてくれたのは、ブルクハルトという牧師だった。ブルクハルトは夫妻を呼び出すと、シュツットガルトにいるクルト・ミュラーという牧師を頼るように告げた。だが、シュツットガルトは、ベルリンから直線距離にして600キロ近くも離れたヴュルテンベルクにある。ほとんどドイツを縦断するような大移動となるうえに、移動の最中は頼れる救援者もなくふたりだけで現地にたどり着かなければならない。
潜伏者にとって、それはあまりに過酷な旅であった。道中で車掌や警察に身元を疑われても、走行中の列車のなかでは一切の逃げ隠れができない。潜伏者にとって、長距離列車は危険極まりない場所である。
このときの衝撃について、夫マックスは後年「難破船のように寄る辺ない身の自分たちにとって、シュツットガルトはあまりにも遠すぎる島」のように思えたと語っている。
慌ただしく出立の準備をする間、夫妻は絶えずひとつの考えに苦しめられていた。こんな悪あがきにいったいどんな意味があるのか。新しい土地に逃げても、どうせまた、そこにも別の危険が待っているだけのことだ。それに自分たちが逃げ続ければ、大勢の善意の人たちを巻き込み、傷つけるのだ。いっそのこと、逃亡生活も自分たちの命ももう終わりにしたほうが良いのではないか。半年を超える潜伏生活で、夫妻は生きる気力を失っていた。
「乗客全員がゲシュタポに見えた」
それでも、イギリスに逃れたひとり娘のインゲを思うと、夫妻の心は激しく揺らいだ。もう一度生きて娘に会いたい、そのためにも生き抜いてナチスの終焉を見届けなければならないという感情が湧き上がってきた。
夫妻はシュツットガルト行きを決意し、8月6日、列車でベルリンを出発した。警察の目を逃れるため、ふたりは7回以上も列車を乗り換え、2日がかりでシュツットガルトにたどり着いた。車中での緊張感をマックスは次のように振り返る。
次の駅に列車が止まるたびに、神経がちぎれそうになった。新たな乗客が乗りこんでくると、他愛のない農夫までが皆ゲシュタポに見え、不安と恐怖に押しつぶされそうだった。
(ヴェッテ『沈黙の勇者たち』)