不法な活動の中にも正義を求めたカウフマン
カウフマンとはどのような人物だったのか。生き延びた協力者の回想をもとに、改めてその実像に迫ってみたい。
職業訓練学校でグラフィックデザインを学んだ20歳のユダヤ人シオマ・シェーンハウスは、高い技術力を見込まれ、1942年12月にカウフマンの協力者となった。シェーンハウスに対し、カウフマンの活動に協力するよう勧めたのは、強制労働先の工場で知り合ったユダヤ人仲間のヴァルター・ヘイマンだった。ヘイマンは言った。
カウフマンは、たぐいまれな人間だ。彼は今でも精神的には不正を憎む正しいドイツ政府高官で、もっとも善良なドイツ人なんだ。たとえ不法な活動はしていても、彼には、絶対といえるほどの道徳的な誠実さがある。もし彼のもとで働くようになれば、君は報酬として闇で不正に入手した食料配給券を受け取るだろう。でももし君が欲を出して、わずかでも必要以上の量の配給券を要求すれば、彼は即座に君を首にする。彼はそういう人間だ。
(シェーンハウス『偽造者』)
同胞を救うために命を懸けた
ナチスが台頭するまでジャーナリストとして活躍していたヘイマンは、カウフマンの人間性を高く評価していた。彼は言った。カウフマンはたしかにユダヤ人だが、潜伏ユダヤ人である自分たちとはまったく立場が違う。生粋のキリスト教徒で、ワイマール期には政府の要職を歴任してきた。しかもドイツ人の妻は貴族階級の出身だ。
彼はダビデの星の着用を免除されているし、彼の身分証明書には、ユダヤ人であることを示す「J」の印もない。彼は「ドイツ人」としての生活を許されている身なのだ。にもかかわらず、彼はユダヤ人同胞を助けるために、あえて途方もない危険を背負う道を選んでいるのだ。彼は、用心や警戒のために行動しないのは臆病者だと考えている。彼はこう言うのだ。「敵の塹壕を攻撃したいならば、用心などしている余裕はない。危険を直視する勇気が必要なのだ」と。
ヘイマンのことばから見えてくるのは、カウフマンの強い規範意識である。彼はユダヤ人を守るために、法律上の正しさではなく「人間としての正義」を拠り所とした。だが、法の専門家であった彼にとって、たとえそれがいかなる悪法であったとしても、不法行為に手を染めることは自身の半生を否定するにも等しい苦痛であった。彼が潜伏ユダヤ人に対してさえ、必要以上の不正を許さなかったのは、法律家としてのせめてもの良心であったのだろう。