光源氏は女性の多様性を楽しむ「美食家」

光源氏は一生の間に、数限りのない女たちを愛した。

しかし、その愛し方は、ドン・ファンともカサノヴァとも異なっているようである。ドン・ファンは唯ひとつの理想的女性像を求めて、次つぎと現実の女性たちの間を巡歴した。カサノヴァはもっぱら女性の肉の狩人で、これは女なら誰でもいい、無選択の放蕩である。

しかし、光源氏はひとりの女の肉なり心なりを征服すると飽き、次に移るというのではない。敢えて言えば女性の蒐集家であり、多様な女性のその多様性を愉しむ美食家である。だからこそ彼の女性関係は複合的で、同時に何人もの女に愛を分け与えている。あるいは彼にとっては常に多様な女性たちが必要だったので、彼の快適な生活というのは、数人のそれぞれ傾向を異にした妻たちから成る家庭で暮すということだった。そして彼はその生活を実現した。

そこには、明石の上のような聡明な女性も、花散里のような実用的な女性も、また、空蟬の尼のような、昔の恋の生きた片身も住んでいた。さらには末摘花のような、軽率な恋を戒める、これまた生きた教訓のような女性もいた。

光源氏に残された「子供の部分」

が、一方で源氏は単なる美食家、蒐集家ではなく、いわば日常生活の上の方に、一生を通じて「夢の女」の姿が存在していた。

その根元にあるのは、彼の記憶の中にはない、彼を生むと同時に死んだ母親の面影であり、この女性憧憬に彼の生涯は貫かれた。

中村真一郎『源氏物語の世界』(新潮選書)

少年期に父帝の寵姫、藤壺を愛したのも、それが母に生き写しの女性だったからだし、幼い紫の上を引きとって、自分の思うまま育てあげたうえで妻としたのも、彼女が藤壺の姪であり、ひいては母の面影を伝えていたからだろう。晩年に女三の宮を妻に迎えることで、ついに家庭の平和を破壊することになったのも、彼女が藤壺のもうひとりの姪だったからである。

そういう意味では、源氏は死ぬまで心の一部に、成長しきれない子供の部分を保存していたのかもしれない。「精神的離乳期前」の傾向があったのだろう。

一方で源氏が、朧月夜のような純粋に肉欲的な女と、何度もよりを戻したり、源典侍のような還暦直前の老婆と肉の戯れをしたりしたのも、彼のこの「子供の部分」と秘かな関係があったのではないか、と私は思っている。

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