当時の貴族を楽しませるためだけの物語でしかない

源氏物語』は、古代王朝のデカダンスの時代の、ひとりの宮廷女性が、鋭い観察眼と豊かな想像力とを働かせて書いた物語で、当時の京都に住んでいた、ほんのひとつまみほどの貴族を愉しませることを目的とした作品なのだ。小説が時代の鏡だとすれば、『源氏』は腐敗した摂関政治の時代の、腐敗した貴族社会の空気を恐ろしいほど生きいきと伝えている。

だから、文学に通俗的な身の上相談を求めているような、幼稚な読者、常に進歩的な思想の表現であることを要求する、健全な読者は、はじめからこんなデカダンな背徳乱倫の物語などは読まない方がいいのである。無理に有難がって小説を読むのは、ばかのすることである。

文学の判る人間なら、『源氏』を5頁も読めば、比類のない傑作であることは、すぐ判る。面白くて寝食を忘れるに決っている。しかし、文学的傑作が字の読めて文学の判らない動物に毒になることは……。

女性解放の教科書でも貴族社会への弾劾文でもない

――どうも、大分、殺伐な議論になったが、以上のようなわけだから、文学好きの読者で、まだ『源氏』を読んでいない人、須磨明石くらいまでしか読んでいない人は、早速お読みになるといい。随分片寄った趣味の産物で、豪快な男性的な文学を愛する人の口には合わないかもしれないが、優美艶麗な抒情的な作品も、芸術として高級であるかぎりは、必ず強い力で人間性の深みを揺するものだということは文学読者なら経験によって、先刻、御承知だろうからだ。

私は何も、こんな妙な下品な文章を書かなくてもよかったのだが、しかし『源氏』について論じた研究家たちの論文にも、中には随分、強引な無理解なものがあって、時どき素人の私を苛だたせるので、その苛だちがこの毒のある小文を生んだわけである。

『源氏』を日本文学の伝統の中心に置くのはいいとして、その日本文学の伝統を、直ちに普遍的全人類的未来的なものに仕立てたいという一心から、あるいは無邪気に世界一を誇りたい自慢癖から、『源氏』のなかにありもしない、飛んでもない特徴まで数えたててみせてくれる人がいるので、気にさわる。

『源氏』は世界最古の小説でもなし、ヒューマニズムの書物でもなし、いわんや女性解放の教科書や、貴族社会への弾劾文ではない。好きな人には、忘れられない魅力を持った古代末期の物語だというに過ぎぬ。そして、私はその好きな人のなかの熱心なひとりだ。