なぜ家康はみずから妻子の死を処断したのか
松平信康事件。それは徳川家康の生涯でも最大の痛恨事だったに違いない。そもそも戦国大名といえども、家康のように正室と嫡男の命を奪った例などほかにない。いうまでもなく、極めて異常な事件だった。
むろん家康自身、正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男で21歳の信康の命をともに奪うことなど、避けられるなら避けたかっただろう。それでも死ぬことを命じたのは、処断するほかなかったからである。
この事件については、同時代の史料がほとんどないため、真相を明確に記すことは難しい。しかし、かぎられた史料と当時の状況から、一定の推測をすることはできる。近年、研究成果もかなり重ねられている。
そこから言えるのは、信康の素行が悪かったであろうこと、父や義父である信長に反抗的だったこと、謀反に関係したことなどで、家康はこのような身内の不祥事について、みずから落とし前をつけたのだ。
ところが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25話「はるかに遠い夢」(7月2日放送)では、気高い心をもつ妻子が、信長からの圧力が原因で死に追いやられた、という描き方で視聴者の涙を誘っていたので、強い違和感を覚えた。
信長が家康に与えたメッセージ
この事件がドラマでどう描かれたか、確認しておきたい。
第23話「瀬名、覚醒」(6月18日放送)では、信康(細田佳央太)に乱暴狼藉が目立つ様子が描かれた。たとえば僧を切り殺し、それをとがめる周囲に激高する場面だが、原因は長引く武田との戦いのなかで、強くなろうとするあまり、自分を見失ってしまったからだとされた。
続く第24話「築山へ集え!」(6月25日放送)では、母である築山殿(有村架純)の、奪い合うのではなく与え合うことで戦争をなくす、という荒唐無稽の構想に同調。「私はもうだれも殺したくはありませぬ。戦はやめましょう」「日本国がひとつの慈悲の国となるのです」と、父である家康に力説した。
そして第25話。信康と築山殿が謀反とのうわさを受け、信長は家康に「お前の家中のことじゃ。わしはなにも指図せぬ。お前が自分で決めろ」と言う。
一見、家康に判断をゆだねたようだが、重臣の佐久間信盛がすかさず「家康殿、なにをせねばならぬか、おわかりでしょうな。ご処分が決まり次第、安土に使いを」と、信長の真意を伝えた。要は、妻子の命を奪う以外に道はない、と家康に圧力をかけたのである。