現代でも組織の「見えない掟」を読み解く力は必要

ただ、ここで強調しておきたいのは、それでも組織の「見えない掟」を読み解く力はあったほうがいいということです。僕が『どうして君は友だちがいないのか』で14歳に向けて訴えたのは、次の三つです。

1.組織には「見えない掟」が存在すること
2.「見えない掟」には絶対的なルールはないこと
3.「見えない掟」に翻弄されていても、いつかその状態に終わりがくること

クラスには常にリーダー格の人物が存在し、末端には皆からいじられる少数の人たち

がいたはずです。そしてその間には、そんなクラスの構図を見て見ぬふりするマジョリティがいたはずです。

僕が通っていた学校は特に“荒れた”学校だったこともあり、そのリーダーと子分、いじめる側といじめられる側の構図は数カ月ごとに起こる下克上によって常にシャッフルされていました。中学1年生の頃にいじめっ子として君臨していたはずの少年が、なぜか2年になる頃にはいじめられる側に入れ替わっていたり、反対に2学期までいじめられていた子が、なぜか3学期になると突如いじめられなくなっていたり……。

写真=iStock.com/roberthyrons
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学校に絶対のルールは存在しない

正直、学校という集団組織の場で、絶対のルールなどは存在しません。極めて曖昧模糊あいまいもことした「なんとなく」の感覚で、いじめる子、いじめられる子、無事な子、そうでない子が混然一体となり同居しているのです。

「なんとなく話し方がイライラする」「なんとなく偉そう」「なんとなく自分がかっこいいと思ってそう」などの、本当にどうでもいい理由で、ある日、急にいじめられるようになる。あるいは突然その関係性が解除されたりする。

きっかけなど思い出せないほど些さ細さいなもので、しかしそんな「見えない掟」に皆が翻弄されていました。そんな関係に「なぜ僕だけが(私だけが)……」と思い悩むだけ無駄というものです。だってルールなんて存在しないも同然なのですから、攻略しようもありません。