「いつか自分もこのような本を読む人間になりたい」
しかし、そこがよかった。
貧しかったので、わたしの書棚はほとんどすべてが、岩波文庫や新潮文庫の古本で占められていた。カバーがとれ、背表紙も黒ずんでタイトルが読めない本も多い。そのなかで、二色グリーンのハードカバー、透明シールで包まれたモーム戯曲集全三巻は、輝いて見えた。そびえ立っていた。
それは、「いつか自分もこのような本を読む人間になりたい」という、自分に向けたマニフェストなのだ。自分にはっぱをかけているのだ。未来の自分への約束なのだ。
射抜くべき的があまりにも遠くに見え、自分たちの弓の力がどこまで届くかを知っている者たちが、目指す場所よりもはるかな高みへ向って的を定めるときのように、振舞うべきである。それは自分たちの矢をさほどの高みへ当てようとするのではなく、そのような高みへ狙いをつけることによって、何とかして彼らの標的へ到達したいと願うためである。
——マキャベリ『君主論』
目標は、いまの自分より高いところにある。そっちのほうが、生きてて退屈しない。見え、飾り、ファッション。でも、そこが尊い。
ことファッションにおいて、がまんしてはいけない。自分を縛ってはならない。好きな服を着る。たとえ似合っていなくてもあきらめない。服が変わるのではない。自分が変わる。服の似合う人間に、なってくる。ファッションが、人間を変える。
自分が「立派な積ん読本」に引っ張られていく
同じ意味で、先に理想の本棚を作ってしまう。百冊なら百冊。総数制限を自分で決める。そこに、読みたいと思っている本を並べていく。リスト(本書に詳述)に沿った本を、先に買いそろえてしまうのだって、ありだろう。十年、二十年後の、未来の自分への投資。積ん読、ここにきわまれり。
本棚が、あまりに立派な積ん読本ばかりになる。すると、こんどは自分がその本棚に引っ張られる。
先に書いたモームの戯曲集だが、いつしか読めるようになっていた。最初の目的だった、晩期四部作については、すべて読み終えた。
べつにたいしたことはしていない。したことといえば、本棚を眺めていただけだ。いつか読みたい、そう思い続けた。英単語を、こつこつ覚えた。あきらめなかったというだけの話だ。