酒場で詩集を読むダンディズム
一人で酒を飲んでもつまらないというひとがよくいるけれど、ぼくはそんなことはなくて、一人で、周囲を気にせず、黙って飲むのも好きだ。そして飲みながら、ぼんやりと、なにかを読むのが好きだ。ほんとに周囲を気にしないのだったら、ぼくは詩集を読むかもしれないけれど、酒場と詩集というのはどうもそぐわないような気がする。まわりでオダをあげているひとたちの雰囲気を、詩集を読むという姿勢は、すこしこわしてしまうような気がするのである。それで酒場でぼくが愛読するのは東京スポーツで、悲惨胃袋ガエシとはいかなる技かというようなことも、ぼくは日暮れの酒場で学んでいる。
——辻征夫「引退した怪人二十面相は招き猫に似てる」
辻とおなじく日本の現代詩人・清水哲男のエッセイに、往年の名レスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャー讃歌がある。
私はいま、アブドラ・ザ・ブッチャーという反則屋にたいへん興味を持っている。(略)彼は相手をまともに見ることをしない。その目は常に宙空をさまよっていて、放心状態のようでもあり、何かを考えているようでもある。攻撃を受けても、ほとんどコタエタ様子が無い。
(略)ブッチャーのファイトを見ているうちに、人はみなこいつは狂人だと思ってしまう。なぜそう見えるのかをいろいろと考えてみたのだが、結局は、どうやらそのうつろな目に主因があるようである。
——清水哲男「不思議な国のブッチャー」
辻の先の文章は、おそらく清水のこのエッセイが頭の片隅にあったのではないだろうかと、わたしは妄想している。辻が読んでいる東スポの記事「ブッチャー流血!」は、だから、ほんとうはスポーツ紙でさえなかった。
酒場で詩集を読んでいる。サカバのダンディズム。カサブランカ・ダンディ。
ピカピカの気障でいられた。