淡い記憶にどんどん言葉が与えられていくような感覚

――取材の結果はどうでしたか。

当時のことを知る人たちに話を聞いていくと、自分の頭の中にある淡い記憶に言葉が与えられていくような感覚がありましたね。当時の自分がどのように暮らしていたのか教えてもらうことによって、「ぼんやりと覚えていたサーカスの思い出は、本当にそこに存在していたことなんだ」と確かめることができたように思います。

話を聞きに行った人の中には、それまでサーカスにいた時のことを他人には話さないで生きてきたという人もいました。サーカスは夢を売る仕事なので、舞台裏のことをあまり人には話さないところもあったようです。でも、私が少し特殊だったのは、その人たちと一緒に住んでいたということです。たった1年だけはあったけれど、それでも同じ釜の飯を食った仲間、という気持ちがみなの中にあったのだと思います。

サーカスのことを本に書きたいと思ったのは、これは自分にしか書けないことかもしれないという気持ちが、話を聞くうちに大きくなっていったのも理由でした。当時のサーカスを形作っていた人たちの記録として、聞いてきた話を本という形に残すことが自分にとってすごく重要なことなのだと、だんだん思うようになりました。

「記憶のたどりかた」を書いた本でもある

――『サーカスの子』では「記憶の庭」という表現を使われていますね。

詩人の長田弘さんの著書『記憶のつくり方』の「あとがき」に、こんな言葉があります。

〈記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、ことばはなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う〉

確かに記憶というものは、そのとき存在したありのままの事実だけでなく、何度も思い返したり補強されたりしながら、耕されるように育っていくものだと思います。僕にとってサーカスでの生活は、まさに「記憶の庭」だったと言える気がします。

なので『サーカスの子』は「記憶のたどりかた」を書いた本でもあるのかもしれません。いざインタビューしてきた話を書く段階になって、私がサーカスに対して感じてきたものを本の中でどうやって表現すべきかという課題があったんです。自分の淡い記憶をどうやって文章にするかをすごく考えました。

――断章として挟み込まれている稲泉さんの子供時代のエピソードでは、当時のサーカスが夢のような場所だったことがよくわかります。

ショーで見たカンスー(長いバーを持っての高綱渡り)や空中ブランコといった芸の様子はもちろん、象や猿、犬たちと遊んだり、同世代の子供たちと駆け回ったりした思い出は、サーカスを出たあとも、幸せな時間として記憶に残っていました。

写真提供=稲泉連
サーカスに設置された鉄パイプで遊ぶ5歳頃の筆者と友達。

子供時代の記憶の淡い部分と実際に再会したサーカスの人たちの話を折り重ねていくような書きかたをしていけば、自分の中に残っているサーカスの記憶をうまく表現できるのではないかと思ったんです。

そうすることで、自分自身の話というだけでなく、彼・彼女らの話にもなる。キグレサーカスというものがあったということが、ある種のはかなさや懐かしさが混じりあったものとして形で表現できたらいいな、という思いがありました。