「腹割って話せぬ」年上部下に苦慮
大学を卒業後、インターンとして勤務していたITベンチャーに就職。エンジニアを経て現在は開発マネジャーに就く山中健二氏も、叱るのに四苦八苦すると苦笑いを浮かべる。
「私の会社は上司が『ああしろ、こうしろ』と事細かく言ってくるのではなく、やさしく諭すのが社風。ですから私も基本的に叱責するのではなく、『あなたならどう思う?』というように、部下に自ら考えるよう促していますが、まだまだです。私の言い方に問題もあるのでしょうが、反対に部下に食ってかかられて、たじろぐことも珍しくありません」
山中氏は現在、25名の部下を抱える身。女性はもちろん、年齢もさまざま。なかでも扱いに困っているのは、自分よりも年上の部下だ。
「部下とはいえ人生の先輩ですから敬語を使いますが、どうしても一歩踏み込んで叱れません。なかなか腹を割って話すことができないので、注意するにしてもためらってしまいます」
過去には、目標を見失いモチベーションが低下した部下に対し、叱ることも含めやる気を取り戻すようアプローチしたが、結局その部下は会社を辞めてしまったこともあったそうだ。「今後の方向性があまりにも違ったから仕方なかったのかもしれませんが……」と己を納得させつつも、部下の能力を引き出すには、叱ることも時には必要だと悟ったという。
ふたりのように、いまはマネジャーとして部下を叱咤激励する立場であっても、その手法を確立するのはまだまだ手探りといったところ。近年では一歩間違えると、パワハラやセクハラと受け止められることも珍しくない。それほど難しいというのが、実際のところだろう。
それでは、部下を育成するうえで効果的な叱り方とは、どういったアプローチを指すのか。ここでは、心理学および行動科学マネジメントの視点から、叱る技術について探ってみた。
そもそも「叱る」とは、どういった行為か。東京国際大学人間社会学部教授で組織行動の面から動機づけの効果を研究している角山剛氏は次のように定義する。
「広辞苑によると、叱るの意味は『(目下の者に対して)声をあらだてて相手の欠点をとがめる。とがめ戒める』とあります。さらにとがめるとは『取り立てて問いただす。責める。非難する』、戒めるとは『教えさとして、慎ませる。過ちのないように注意する』という意味。『叱る』は『怒る』と大差ないようにも見えますが、ここで大事なのは戒める行為で、これにより、職場における不必要な行動を抑えるというのが、叱ることの本当の意味ではないでしょうか」
心理学的なアプローチからも叱ることの意味を考えてみよう。前提として捉えなければいけないのは、「叱る=罰」だということ。叱られる側からすると、少なくとも報酬ではない。よって、仕事で失敗して叱責されると、それが嫌悪刺激となり、次回からは失敗が減る=望ましくない反応が抑制されるというのだ。
「ただし罰には問題点もあり、報酬(褒めるなど)と異なり知識を提供することはなく、あくまで『抑制』の効果しかないことです。過度な抑制は、さらに望ましくない反応を生む危険性もありますし、罰することで上司や会社を嫌ったり恐れたりさせることもあります」
人は叱られるより褒められるほうが嬉しいもの。褒めるという「快」の刺激は、さらなる快(充足感、達成感、報酬)を得るための行動を誘うが、叱られるという「不快」な刺激は、「叱られない程度にやっておけばいい」という、その刺激から回避できたところで行動を停止させてしまう可能性もあることを忘れてはならないというのだ。
「基本的なポイントは、『叱る=罰』に捉われないこと。『あのとき叱ってくれたおかげで成長できた』と、後から考えて『報酬』と部下が受け取れるように言葉や態度を選ぶことです。よって、叱る際は、感情的にならない、他者と比較しない、不公平にならないといった点を注意すべき。あまり追い詰めると『窮鼠猫をかむ』ではありませんが、思わぬ反発や攻撃――いわゆる逆ギレを誘う危険性もありますから、気をつけてください」
※すべて雑誌掲載当時