脱炭素のためにますます貧しい国になってしまう
それでも再生可能エネルギーを主体にしていくというのなら、電気料金が現在(2021年)の2倍に跳ね上がることを覚悟する必要がある。家庭用は歯を食いしばって耐えたとしても、製造業はそうはいかない。安い電力を求めて海外に出ていくしかなくなる。そうなれば雇用は失われ、GDPは落ち込み、日本はますます貧しい国になっていくだろう。それでもカーボンニュートラルが重要だと強弁するのなら、もはや「健康のためなら死んでもいい」と同じ理論である。
EVを推進していくうえで解決しなければならないことはまだある。価格の高さと十分なバッテリー量の確保、人権、環境汚染問題だ。まずは価格から。「EVはたしかにまだ高い。でもパーツ点数が少ないから大量生産が進めばコストは劇的に下がっていく」と言う人がいる。河野太郎行政改革担当大臣(当時)もそのうちの一人だ。開いた口が塞がらない。
たしかに一昔前と比べるとEVの価格は下がってきた。それはEVの心臓部であるリチウムイオンバッテリーの価格が下がったからだ。そしてEV推進派の人たちは、これまでも下がってきたのだから今後も下がり続けると主張する。
金属資源を適正な価格と方法で確保できるのか
しかし、ことはそう単純ではない。EVのコストを引き上げているバッテリーに注目すると、ニッケル、リチウム、コバルトといった原材料コストがその3分の2を占める。問題は、世界中で計画されているバッテリー大増産計画に見合うだけの原材料が確保できないことにある。
需要と供給のバランスが崩れれば原材料コストは上がり、バッテリー価格も上昇する。そうなれば、販売価格を引き上げなければ利益が出なくなる。つまり、売れれば売れるほどEVは高くなる可能性があるのだ。国の舵取りの一端を担う国務大臣が、その程度のことも理解していないのは困ったものだ。
次に量の確保と人権、環境汚染問題。現在、バッテリー原材料の多くは中国が握っている。世界各地に鉱脈は存在するが、中国との価格競争に敗れて閉山に追い込まれた鉱山も少なくない。その背景には安い労働力と、精製時に発生する有害物質の処理に十分なコストを払っていないからこその高い価格競争力があった。
バッテリーの発火リスクを下げる役割を担うコバルトはコンゴ民主共和国が埋蔵量、生産量ともに世界1位(その多くが中国に輸出されている)だが、児童労働がたびたび問題視されている。