「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」

30歳を超えて2年が過ぎた時、千葉大の仕事が切れた。ここで佐藤さんは、周囲が驚く決断をする。

「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」

学生時代、車好きが高じてアルバイトとしてトレーラーの運転手をやっていた。大型免許とけん引免許は持っている。現実を受け入れよう。

2013年の春、研究者の道に見切りをつけ、運送会社に就職した。

「もう少し踏ん張れば、道が開けたかもしれないのに」。大学の指導教員だった山本さんは、惜しくてならない。しかしその一方で、こんな思いも抱えている。

「今の日本では、1年2年という、先の見える小さな実験で結果を出さなければ研究職に就けない。佐藤君はもっと大きなところ、『海のものとも山のものとも分からない』という世界に興味を持っていた」

大きな視点ゆえに科学者になれないとしたら、何という皮肉だろう。

「研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好き」

トレーラー運転手の仕事に専念してから、今年で8年目。

佐藤さんは正社員として家族3人が暮らせる給料をもらい、4年前に千葉県内に一軒家を購入した。週末には、ささやかながら外食もできる。妻の裕子さんは「好きなことができていればいい」と温かく見守る。

研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好きで、教えるのも好きだ。だから今も、知り合いの子供の家庭教師を引き受けている。

2月中旬。中2の男子生徒の家で理科の勉強をみた。学習書には電気抵抗の公式が載っているが、「ぶっちゃけ、この公式なくても解けるよ」と伝える。

「頭を整理すれば、知っている計算で解けるんだよ」とアドバイスすると、生徒は自分で計算を進め、正解を導き出した。「すごいセンスあるね」とほめると、「ぼくも天才になれるかな」と照れ笑いが返ってきた。

写真提供=読売新聞社
中学2年生の男子生徒の家庭教師を務める佐藤さん

もし研究の仕事があれば、たぶん続けていたと思う。でも考えても仕方がない。今は、与えられた積み荷をしっかりと目的地に運ぼう。

「ブレーキは『パスカルの原理』とか、車の運転って結構、物理に関係あるんですよ」。朗らかに笑って、佐藤さんは今日も大きくハンドルを切る。