和式便器の水でズボンと靴を洗うしかなかった

ズボンはボタンで留められていたのです。私はあらん限りの力を肛門に集中し、震える指でボタンを外しました。間一髪、間に合ったと思って、肛門の力を抜くと同時に、しゃがみ込みながらズボンを下ろそうとしました――が、ズボンは下りません。なんとボタンはもう1つあったのです。

終わった――と思いました。同時に私は完全に緩んだ肛門から温かいものが出てくるのを呆然と感じていました。

あの絶望感と解放感が入り混じった気持ちはどう表現すればいいのでしょう。なすすべもなく、ただただ私の体に起こっている現象を受け止めているしかなかったのです。

余談ながら、あれは1度出ると、途中で止められません。要するに全部出てしまうのです。パンツの中からはみ出たものがズボンを通して足に流れていきますが、どうすることもできません。

さて、すべてが終わると、あらためて自分の置かれている状況に絶望せずにはおれませんでした。パンツもズボンも大変なことになっています。おまけに革靴の中にまで入っています。

私は個室の中で下を全部脱ぎ、便器の中でズボンと靴を洗いました。まさか自分の人生で和式トイレの便器でズボンを洗う日が来るとは思ってもいませんでした。人生にはこういうこともあるのだなと妙な達観を得たのもたしかです。パンツと靴下はさすがに捨てました。

写真=iStock.com/IrKiev
※写真はイメージです

失敗を笑えるのは成長の証し

その後、びしょびしょのズボンを穿いたまま、紳士服の売り場で下着と替えのズボンを買い、もう1度トイレで着替え、ショッピングモールをあとにしましたが、あたりはもうすっかり暗くなっていました。あの時は、不幸というものは、日常生活のすぐ隣にあるのだなあと不思議な感慨を覚えました。

こんな尾籠びろうな話を書いて、読者の皆さんには大変申し訳ありませんでした。失敗談の例として挙げたのですが、さすがにこれは書きすぎたかもしれません。

百田尚樹『雑談力』(PHP文庫)

まあ、ここまでの失敗は極端ですが、皆さんも過去の人生を振り返れば、面白い失敗はあると思います。当時は恥ずかしくてとても人に喋れるような心境ではなかったけれど、時が経つにつれて、それを笑いにできるようになった話もあると思います。

実は失敗を笑いに変えることができるのは、人間の成長の証しなのではないかと私は思っています。人が失敗話を楽しんで聞くのは、そういう心の余裕を見て楽しんでいるのではないかという気もします。

ですから皆さん、自分の人生を振り返って、面白い失敗を探してみましょう。

何、そんな失敗は1つもない? うーん、そういう人生は味気ないですね。人生は多くの失敗を重ねて、人としての幅ができ、人の痛みや心がわかる人間になっていくのだと思います。

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