内部文書を暴露した小西氏は「個別番組を狙い撃ちする政治的な目的で放送法の解釈を変えた。一部の権力者によって都合のいい解釈に放送法が私物化されている」と追及しているのに対し、松本総務相は「礒崎補佐官から総務省に問い合わせがあり、従来の解釈を補充的に説明した。放送行政に変更があったとは認識していない」と強調。岸田首相も「放送法についての政府の解釈は変わっていない」と事態の鎮静化に努めている。

だが、放送の現場からは「政治報道は気を遣うようになった」と息苦しさを伝える声が聞こえてくる。

行政文書を「まったくの捏造」と言い張る高市元総務相

この「事件」の核心とはまったく別の次元で世間の注目を集め、醜態をさらし続けたのが、当時の総務相として表舞台で主役を演じた高市経済安全保障担当相だ。

内部文書が露見するやいなや、国会答弁や記者会見で「まったくの捏造」と言い放ち、捏造でなければ大臣も議員も辞職すると大見えを切ってしまったのである。

礒崎氏が早々に自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め、松本剛明総務相が「行政文書」と認定して公表し、総務省が「総務官僚による高市氏への説明(レクチャー)があった可能性が高い」とする調査結果をまとめても、「捏造」と言い張った。

本来、外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない以上、もはや「捏造」と受け止める人はいないだろう。

高市氏は「ありもしないことをあったかのようにいうのは捏造だ」と連発したが、「あったことをなかったというのはウソつき」ということばを知っているだろうか。

政府が認めた公文書を「捏造」というからには、立証する責任は高市氏自身にある。

内部文書が「捏造」であってもなくても辞職に値する

ひるがえって、もし、仮に「捏造」だとすれば、大臣在任中に、省内に捏造文書が流布していたことになり、監督責任は免れない。そのうえ、当時の部下たちへの不信感をあらわにしているのだから、何をかいわんや、である。

2020年1月30日、新型コロナウイルス感染症対策本部(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

しかも、高市氏は、自らの判断で新解釈を答弁したと明言した。報道の自由にかかわる重大な解釈変更を、独断で行ったとなれば、一大臣の分を超えた由々しき事態といえる。だが、実際には、半年余にわたって事務方ですり合わせが行われ、安倍首相の指示を受けて答弁に至った経緯を、内部文書が記している。

いずれにしても、大臣としての職責をまっとうしたとは言えず、欠格大臣であることを自ら吐露してしまった。天に唾するとは、まさにこのことだろう。

もはや、内部文書が捏造でなくても、捏造であっても、高市氏は辞職に値する。