そして、礒崎氏の説明に前向きな反応を示した安倍首相に、「メディアとの関係で、官邸にプラスになる話ではない」と、解釈変更を思いとどまるよう直訴したのである。
最終的には押し切られた総務省だが、そこには、安倍政権の放送局への強圧的な姿勢に対し、放送の自主・自律を守ろうとする総務官僚(旧郵政官僚)の良識が働いたようにみえる。
政治的公平の判断は「番組全体」から「個々の番組」へ
あらためて、内部文書にしたがって、放送法の政治的公平の解釈変更の経緯を振り返ってみる。
政府は一貫して、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体をみて判断する」との見解を示してきた。個別の番組について客観的な評価を下すことは難しいと考えられてきたためだ。
ところが2015年5月、高市総務相が国会で「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と、個々の番組が政治的公平の判断対象になりうるという新たな解釈を示した。
ただ、あまりに唐突な答弁で、自民党議員の質問にさりげなく応じる形だったこともあり、大きく報じられることはなかった。
問題が表面化したのは16年2月。高市総務相が国会で「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、何の対応もしないわけにいかない」と停波命令を出す可能性に言及し、あらためて政治的公平の新解釈を示したころだ。
ほどなく、政府は、「従来からの解釈については、何ら変更はない」としつつ、「一つ一つの番組を見て、全体を判断することは当然」と、さらに踏み込んだ統一見解を出した。
政府の見解を変更する場合に必須とされる内閣法制局と調整した様子はなく、事実上、礒崎氏、安倍首相、高市総務相の間で、報道の自由の琴線に触れるような解釈変更を決めてしまったようだ。
民放連幹部「ピースが埋まり、パズルが解けた」
「停波答弁」と「政府統一見解」を受けて、コトの重大性に気づいたメディアが一斉に報道、にわかに「政治的公平の解釈」が俎上に上った。
新解釈に対し、放送局や新聞社はもとより日本弁護士連合会(日弁連)などから「従来の見解と明らかに矛盾する」「言論の自由への介入だ」「放送事業者の萎縮を招く」との批判が噴出した。個別の番組に対する事実上の検閲や言論弾圧に道を開き、民主主義の基本理念を脅かしかねないと懸念されたのである。
当時、なぜ突然、新解釈が示されたのか、経緯がわからなかったが、今回の文書で首相官邸の意向に沿ったものであることが明らかになった。
日本民間放送連盟(民放連)の幹部は「これでピースが埋まり、パズルが解けた」と驚き、放送法の理念の根幹にかかわる解釈変更が一首相補佐官の強要で実現してしまった実態に強い懸念を示した。