10月のカンファレンスコールでアップルの四半期決算が発表され、アナリストたちはiPhoneが販売台数でブラックベリーを上回ったことを知った。ブラックベリーの1210万台に対してiPhoneは1410万台だった。しかもRIMの数字はアップルとは違い、販売店に出荷された台数であり、必ずしも末端の消費者に売られた数ではなかったため、実際の差はもっと大きかった。
ジョブズは素っ気なく言った。
「予測可能な将来に彼らに追いつかれるとは思わない」
RIMにとって大きな障害は、すでに巨大になっていたiPhoneのソフトウェアのエコシステムだった。「アップルのアプリストアには30万のアプリがあり、RIMの行く手には越えなければならない高い山がある」アップルの数字は、その年の残りの四半期ごとに伸び、売上台数はRIMの出荷台数を500万台上回った。
新たな強敵の誕生
RIMとの戦いは落ち着きつつあったが、アップルには新たな敵が待ち構えていることをジョブズは熟知していた。2008年に、グーグルの新しいOSであるアンドロイドに対応した機器が発売されたからだ。
アップルのモバイル用OSとは異なり、アンドロイドは無償で誰にでも提供されるオープンソースだ。どんな製造者も無料で自由に使え、改造することもできる。不備が解決されれば、アップルのスマートフォン市場の支配を脅かしはじめるだろう。
世界的に今後の大きな成長が見込まれる低価格帯ではとりわけそうなる。不幸なことに、スティーブ・ポール・ジョブズは、この戦いを最後まで率いることはできなかった。1年後、がんが彼の人生を絶った。世界は非凡な革新者であり、リーダーである人物を失った。
ジョブズのポジショニング戦略に完敗
のちにBlackBerryに社名を変更したRIMは2012年、ラザリディスとバルシリーにかわる新しいCEOに、ハードウェア部門のトップであったトルステン・ハインズを指名した。その年、同社は、売り上げが前四半期と比べて21パーセント減と大幅に落ち込み、1億2500万ドルの損失を報じた。
5年前、ジョブズがマックワールドのステージに上がり最初のiPhoneを発表したとき、RIMは世界のスマートフォン市場の半分を支配し、19億ドルの利益を上げていた。ところが、いまや58億ドルの赤字を抱えている。
ブラックベリーはふたたび企業向け市場に特化し、消費者向け市場での地位獲得をあきらめることを明らかにした。のちにその言葉を撤回し、他の製造業者とOSのライセンス契約を結んだものの、行き詰まりは目に見えていた。
コンピューターのラインナップを四機種に絞り込んだその瞬間から、犠牲を払って良いものだけを残すことが、ジョブズによるアップルのポジショニング戦略だった。犠牲を通して、アップルはすべての人のための最高の電話というポジションを獲得した。