「情報発信はマスコミだけ」の時代は終わった
逆に炎上したときの最悪の対応は、黙ってやりすごそうとすることだ。
ひと昔前であれば、マスメディアは情報の発信源を一手に担っていた。何か批判が起きたとしても、黙っていれば沈静化させることはできたかもしれない。
しかし、今は誰もが個人的に発信をする一億総発信社会だ。黙っていても炎上は止まることはなく、そのままネット上で袋叩きに遭ってしまうだろう。説明しない態度の傲慢さが火に油を注ぐ可能性さえある。
情報はマスが一方向で届ける時代から、双方向の時代となって久しい。
マスメディアは自らに向けられた批判に正面から向き合い、適切だと思うのならば反論し、不適切だったならば謝罪しなければならないのだ。
そのように考えると、「桜ういろう」の炎上騒動は、マスメディアが説明責任を果たすという、あるべき姿の対極にあると言わざるを得ない。あえて匿名で発言している時点で、そもそも、説明責任を果たそうという意思はない、と見るべきだろう。
炎上するのが問題なのではない
裏を返せば、自分の考えをきちんと主張し、反論することができるのであれば、炎上したとしてもそこまで大きな問題ではない。
記者は時には会見などで厳しい質問を投げかける場面もある。それに対して批判が集まったとしても、その質問について会社や記者自身がきちんと説明することができるのであれば、過度に恐れる必要はないのだ。
私は今回の共同通信社のように、会社がきちんと説明責任を果たすことをせず、批判を避けるようにした結果、取材において記者の委縮が起きてしまわないかを心配している。炎上を恐れて会見で厳しい質問をすることができなくなっては、記者の存在意義はなくなってしまうだろう。
マスメディアは批判や炎上を恐れて安全運転に徹しようとするのではなく、それらに向き合って自らの取材活動についてきちんと説明できる、信頼できる存在へと生まれ変わることが求められているのだ。