息子の不登校

高3になった息子は、「介護の専門学校に行きたい」と言ったが、馬場さんが「介護より看護の方が給料が良いよ」と助言し、卒業後は看護学校に入学。ところが約3カ月後、馬場さんは学校から、「学校に来ていません」との連絡を受けてびっくり。慌てて息子が行きそうな場所や近所のネットカフェなどに電話をして息子を探した。

「看護学校は、毎日小テストや課題提出がありましたが、ADHDの息子は、やるべきことの優先順位がわからず、ゲームをしたり、テレビを見たりしてしまい、勉強せずにテストを受けたり、課題提出もせず、毎日のように先生から叱責を受けていました」

だんだん先生に怒られるのが嫌になった息子は、学校に行ってもトイレやロッカーに隠れていることが増え、その後、学校に行かず、ネットカフェなどで一日を過ごすようになっていたようだ。

「息子が介護の専門学校に行きたいと言ったのは、両親との同居がきっかけだと思います。ででも私が看護学校を勧めたばっかりに、つらい思いをさせてしまいました。当時の息子は精神が崩壊していましたから、暴れて部屋の壁に穴を開けたりと大変で、『私の育て方に問題があったのか?』などと私もずいぶん悩みました。両親も両親でいろいろ崩壊してましたし……。この頃が一番しんどかったです」

馬場さんは、めまいと耳鳴りがひどくなり、嘔吐してしまうことも。病院を受診すると、メニエール病だった。

「頭痛はロキソニンでは効かず、一番きつい頭痛薬をもらっています。今でも薬を飲み忘れると、頭が揺れる感じがして気持ち悪くなりますが、最近は当時よりだいぶストレスが緩和されて、吐くことはなくなりました」

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話し合いの結果、息子は看護学校を退学。その後、若者の就労を応援する短期の専門学校に通い、改めて介護について学ぶことに。

「看護学校を退学したとき、息子はうつ病と診断されました。精神科の先生が疲れ切った様子の私を見かねて、『僕が息子さんを預かります。ここから、介護の学校に行かせます!』と言って息子に入院を勧めてくださり、3カ月入院しました」

介護の学校に行き始めた息子は、就労を求めて通う人たちに出会い、「悩んでいるのは自分だけではなかった」と気がつき、少し気持ちが落ち着いたようだ。だが、介護の学校を卒業後、グループホーム勤務が決まったが、先輩が威圧的だったため看護学校でのトラウマがよみがえり、1カ月経たないうちに出勤しなくなってしまう。馬場さんは再び絶望に打ちのめされたが、息子は3カ月ほど休むと、自分で現在の介護施設勤務を決めてきた。