台湾、韓国の後塵を拝している理由

【野原】ひとつは日米半導体協定です。1980年代、日米貿易摩擦が生じ、特に半導体はあまりに日本のシェアが高かったことで、日米半導体協定による貿易規制が強まり、さらには日本国内で海外製半導体のシェア20%を保つよう求められました。

さらには半導体協定によってダンピング防止を理由に、最低価格制度を導入することになりました。当時、日本はメモリ半導体の一種であるDRAMが主力商品でしたが、販売価格の維持を求められている間に、さらに安くDRAMを製造できる韓国、特にサムスンの台頭を許すことになり、日本製半導体は凋落していきました。

「日本シェアはほぼゼロに⁉」という文字が衝撃的な経産省の資料

2つ目はビジネスモデルの変化です。アメリカを中心に、半導体企業は設計を担当するファブレス企業と、製造を担当するファウンドリ企業とで水平分離する潮流が生まれてきたのですが、日本は電機メーカー各社とも、社内で設計から製造までを行う従来のビジネスモデルを続けたため、新しい潮流への対応が遅れました。

3つ目は顧客の不在です。日本が世界の半導体のシェアトップを走っていた頃は、顧客の大半は日本の電機メーカーでした。日本の家電が世界一といわれていたころですから。

しかし電機製品の主力商品がパソコンやスマホに切り替わっていく過程で、半導体の主な顧客は海外メーカーになりましたが、日本の半導体産業は海外の顧客に食い込むことができませんでした。

国内の電機メーカーによるデジタル市場も発展せず、バブル経済崩壊後の長期不況もあり、半導体事業への投資が滞ったのです。

経産省が失敗と話す「ある政策」

――この間、経産省として半導体事業に対しどのような取り組みがあったのでしょうか。

【野原】半導体の凋落が見え始めた1990年代後半以降、「日本のメーカーの中の半導体部門を複数集めてきて、再編成すればいい」という考えの下、主に日本企業だけで集まったところへ予算を投じる方法でやってきました。

結果としてこの「日の丸連合」は、経済産業省の政策の失敗、と総括できるかもしれません。

――1999年、NECや日立製作所などの半導体部門が合流し「エルピーダメモリ」が生まれました。公的資金活用による300億円の出資を受けましたが、2012年に経営破綻しています。

【野原】当時は投資額、予算額もそれほど多くなく、それゆえに産業界サイドも「本当に重要な研究は自社でやる」といった具合で、互いに牽制し合ったこともあり、なかなかうまくいきませんでした。

「なぜ他にも売るものがあるのに、半導体なんだ」という声もあり、「国を挙げて」という形になりづらかった面があったかもしれません。当時は、半導体を重点的に支援することが必要な理由を説明できる材料を政府側も持ち合わせていなかったのでしょう。

逆に、韓国・台湾・中国は政府がリスクをとって産業投資をしました。補助金を使ってどんどん大規模投資をすること、国内の半導体生産設備の投資や人材育成を行ってきました。