苦手な人との飲み会で考えていること

人から誘われたとき、乗り気でない場合ははっきりと「ノー」ということができる。しかし、学生時代、あるいはプロの世界に入ったときには、先輩からの誘いを断ることはできなかった。

まったく楽しくないのに、酒場に繰り出し、無為な時間を過ごすことも多かった。当時から「時間の使い方」を最優先していたわたしにとって、ただダラダラと過ごすだけの無駄な時間は本当に耐えられなかった。

しかし、ある程度のキャリアを積み、プロの世界で実績を残すにつれて、自分の意思を最優先して、行きたくないときにははっきりと「ノー」というようになった。その結果、次第に誘われる機会も減っていったのだが、わたしとしてはそれで困ることはなにもなく、むしろ好都合だった。

読者のみなさんも、気乗りしないのに「つきあいだから断れない」というケースが多いことだろう。もちろん、わたしにもいまでもそんなケースはある。

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本当ならば、「ちょっと予定があるので……」となんらかの理由を見つけて断ればいいのだろう。しかし、日々接する会社の上司や取引先からの誘いを無下にすることもできないのだとしたら、置かれた環境のなかで取り得る最善策を探すしかない。

苦痛な時間を有効な時間に変える方法

気心の知れた人からの誘いならまだしも、自分が苦手だと思っている人、どうにも相性が合わない人の場合はなおさらつらい時間を過ごすことになる。

そんなときには、「自分が苦手な人ほど、実は学びが多いのだ」と考えるようにしている。楽しいときはあっという間に時間が過ぎる。その一方で、苦痛で仕方ないときには、本当に時間がたつのが遅く感じられる。

ならば、その「苦痛な時間」でさえも有効に使う方法はないか?

そのようにマインドチェンジを試みるのである。

例えば、最初に考えるのは「どうして、わたしはこの人が苦手なのだろう?」ということだ。「理由はわからないけど、この人といると落ち着くな」と感じる人がいるように、「なんだかわからないけど、この人といるとイライラする」という人がいる。

このとき感じた「理由はわからないけど」や、「なんだかわからないけど」を、あらためて自分なりに掘り下げて考えてみるのだ。

話し方が嫌いなのか、話の内容が退屈なのか?
あるいは延々と自慢話をするからなのか?
同じ話を何度も何度も繰り返すからなのか?
店の店員やタクシー運転手に対する態度が尊大だからなのか?

こうした視点で「観察」していると、いろいろな気づきが生まれてくる。その結果、「この人のこういう考え方が、自分には合わないのだな」とか、「こういう態度は他人を不快にさせるんだな」という発見がある。