※本稿は、鳥谷敬『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
「怒る」という感情は役に立たない
引退会見の席上、現役時代を振り返って、「野球選手の鳥谷敬というのを一生懸命演じている。そういう感じだった」と発言した。
元々の性格はすごく短気で、すぐにイライラしてしまうタイプだ。しかし、野球選手としてグラウンドに立つ際には「怒る」という感情は完全に捨てていた。
チームのために自分の成績を残すうえで、「怒る」という感情が役立つことはまったくない。「怒り」は「力み」に変わり、その結果必ず失敗を招くことになる。
もちろん、「怒り」をエネルギーに変えて力を発揮する選手もいるだろう。しかし、少なくともわたしの場合はマイナスになるだけだった。
試合中に怒りを爆発させて、バットやグローブを叩きつけている選手もいる。本人はフラストレーションのはけ口として、そのような行動をしているのかもしれないけれど、まわりで見ている者にとってははた迷惑でしかない。
わたし自身は、そう考えていたから、道具に八つあたりをすることはまったくしなかった。いや、そもそも「怒り」だけではなく、グラウンドでは「喜怒哀楽」すべての感情を表に出すことをよしとしなかった。
ガッツポーズをしなかったワケ
殊勲打を放っても、決して派手なガッツポーズはしなかった。
わたし自身が、相手にやられていい気分がしないからという理由もある。同時に、「なにくそ」と、相手を発奮させることになるかもしれない。
だから、高校時代からずっとガッツポーズを封印している。
たとえ逆転打を放ったとしても、まだ試合が終わったわけではない。相手の攻撃が控えているのであれば、その瞬間からすぐに守りに対する意識を持たなければならない。あるいは、サヨナラホームランを放ってその試合に勝利したとしても、ペナントレースはまだ続くのだ。浮かれることなく、翌日の試合に備えて頭を切り替えなければならない。
たとえ優勝が決まった瞬間であっても、現役でいるあいだ戦いは続くのだ。
ヒーローインタビューでも、アナウンサーの方には申し訳ないが、わざと口数少なく答えていた。例外はあるにせよ、優秀な成績を残している一流選手たちは派手なパフォーマンスをしないから、それを見習いたいとも思っていた。
こうした一連の思考プロセスを指して、「鳥谷敬を演じている」と発言したのである。