目を疑った金本監督からのサイン

プロ15年目となる2018年シーズン、5月18日のことだった。

この日、代打で出場して、球団記録となる2011試合出場を記録した。

わたしの出番は試合終盤の9回だった。球団記録がかかっていたことは知っていた。だから、「必ず出番は来るだろう」という思いとともにベンチで戦況を見つめていた。

そして、走者のいる場面でいよいよ出番が回ってきた。バッターボックスに入ってサインを確認したその瞬間、わたしは自分の目を疑った。

送りバントのサインだった――。

もちろん、1点を争う大切な場面である。ひとつでも先の塁にランナーを進めて、後続のバッターに託したいという監督の意図は理解できる。

ただ、長いプロ生活において、こうした場面でバントのサインが出たことはなかった。ベンチからのサインは絶対である。もちろん、指示にしたがうしかない。

鳥谷敬
撮影=平野司
「ファウルでもいいや」という考えが頭によぎったが……

わざと失敗してもいいか

しかし、この瞬間の気持ちをいえば「ファウルでもいいや」という投げやりな気持ちがあったのは確かだ。半ばやる気を失ったまま、わたしはバントの構えをした。

すると、驚いたのは相手バッテリーだった。

キャッチャーはタイムを取り、自軍ベンチの指示を確認する。そのままマウンドに行き、ピッチャーと何事かをささやき合っている。

相手からしても、「本当にバントをしてくるのか?」と疑心暗鬼になっていたのだろう。そして、この「一瞬の空白」はわたしにとって幸いした。

ベンチからのサインを見たときに、「えっ、ここでバント?」と感じると同時に「なんで記録のかかった節目の試合でバントのサインを出すのだろう?」という、ふてくされた感情に支配されたのは紛れもない事実だった。

しかし、相手バッテリーがタイムを取って話し合いをしているあいだに、冷静に考える時間がもたらされることになった。

この瞬間、わたしは冷静さを取り戻したのだ。

「プライドを傷つけられた」とは思わなかったけれど、腹が立たなかったといえば嘘になる。だからといって、仮にそこでわざとバントを失敗してファウルになっていたとしたら……。

考えただけでも恥ずかしい。もしもそんなことをしていたら、その一瞬だけは個人的な溜飲が下がるかもしれないが、冷静に考えてみれば、それは首脳陣への反抗にしかすぎず、チームプレーである野球選手として、サインを実行しないということは絶対に許されないことだ。