「他人の目」をうまく利用すべき
怠け者で、それほど好きでもなかった野球をここまで続けることができたのは、「自分の意思」ではなく、「他人の目」のおかげだった。
現役時代、「鳥谷はすごく練習熱心だ」といわれていた。誰よりも早く球場に行き、黙々とランニングをしていたからだ。その姿が広まってくると、ますます「鳥谷はストイックだ」「練習の虫だ」と話題になるようになった。
練習をすればするほど、いい結果となって自分に跳ね返ってくるということを知っていたから、練習するのは当然のことだと思っていたが、最初に述べたように、元来は怠け者であり、「できれば球場に行きたくないな」というタイプの人間だ。
けれども、マスコミをはじめとして、ファンのあいだにまで「鳥谷は練習熱心だ」と広まってしまうと、サボったり、手を抜いたり、ましてや遅刻したりすることはできなくなる。第三者が自分のことを「練習熱心だ」と見ているのならば、その認識を自分のためにうまく利用したほうがいい。そう考えていたのだ。
連続試合出場記録が続いているときも、同様の考えだった。
毎日試合に出続けていれば、疲れも溜まってくるし、大なり小なり故障も抱えていく。「今日は試合に出たくないな……」と思う日だって、当然ある。
それでも、何年も連続試合出場記録を継続していると、まわりの人々は「鳥谷は試合に出ているのが当然だ」という思いになっていたことだろう。
ならば、その思いを自分のために利用すればいい。
他人にどう思われようと気にしない
わたし自身はなにか突出した才能があるわけではなく、「打つ、守る、走る」、それぞれを満遍なくこなすことで評価されるタイプの選手だった。自己評価をするならば、すべての項目が5段階評価で3.8ぐらいの選手だろうか。ひとつも「5」はないし、決して「4」でもない。
少しでも休んでしまうと、自分のポジションを誰かに奪われてしまう恐怖が常にあった。
だから、試合に出続けるしかなかったのだ。
この間、何度もケガをしたけれど、チームに迷惑がかからない限りは、自分からは「無理です」「試合を休みたい」とはいいたくなかったし、実際にいったこともない。
その際に大きな力になったのが、「毎試合、試合に出るのはファンに対する義務である」という思いだった。キャンプ期間やシーズンオフに病院を慰問し、「病気が治ったら、ぜひ球場に見に来てくださいね」と約束したのに、当の本人が試合に出ていなければ、子どもたちはガッカリすることだろう。
自分の子どもたちにも、「一度でも自分で決めたことは最後までやり通すこと」と常にいっている。しかし、その言葉を発した父親が、実際は自堕落な生活で、有言不実行だとしたら、子どもたちの教育にもよくないのはいうまでもない。自分で口にした以上、自ら率先して手本を見せるしかないのだ。
こうしたこともまた、わたしにとっては「他人の目」なのである。
正直にいえば、他人からどう思われようと、どのように見られようと、わたしはまったく気にしていない。その反面、自分の価値を高めることにはかなりの意識を置いてきた。基本軸にあるのは、「他者ではなく、あくまでも自分自身」という思いがブレずにあるからだ。
けれども、それがチームやファンや家族のためになり、さらに自分の役に立つのであれば、積極的に「他人の目」を利用したほうがいい。
怠けそうになる自分を律するときに、「他人の目」は大きな力を発揮する。