新宗教の弱体化に拍車をかけるスマホ社会

スマホの普及は、それに拍車をかけている。皆が日常的にスマホの画面とむきあっているのは、そのなかの世界の方が、外側の実際の社会より広く感じられるからである。人とのつながり、情報とのつながりも、すべてスマホを通してである。スマホがなくなったり、壊れてしまうと、そのすべてが一気に失われてしまう。

スマホのなかには、大量の情報があふれている。そのなかには、本物もあれば、フェイクもある。多くはその真偽を確かめようもないものである。本物だからといって信憑性を感じさせてくれるわけではなく、フェイク・ニュースの方がはるかに現実を説明してくれるように思えることもある。だからこそ、スマホを通して陰謀論が広がっていく。

対面なら、誰かにその誤りや矛盾を指摘されることもあるが、ただスマホの画面を見つめているだけであれば、その情報を信じ込んでしまいやすい。しかも、情報は自分で拡散することができ、「いいね!」がつけば、拡散という行為が楽しくなってくる。

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スマホにマインドコントロールされる私たち

スマホは、宗教とは違い、何かの勧誘を行ってくるわけではない。だが、それを通して伝えられる膨大な情報は、私たちの感覚を麻痺させてしまう。心地よい情報だけを選択できるところが鍵で、そこに危険性もある。自分が自分にマインドコントロールされていくのだ。

島田裕巳『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)

スマホは社会を大きく変えた。私たちのあり方を根本から変えた。しかも、私たちはそれを手放すことができない。社会が、スマホの存在を前提に成り立つようになってきたからだ。スマホなしに、あるいはパソコンなしに大学生活を送ることなど不可能である。

新宗教もスマホを使って効率的な勧誘活動を行うことができるのではないか。そのようなことが言われたりする。しかし、現実には、そうした新宗教は現れていない。それも、スマホの世界には膨大な情報があふれ、新宗教が信者として引き入れようと意図的に情報を流したとしても、そのなかに埋もれてしまうからだ。ある意味、まともな教えを説いても、かえってそれで排除されてしまう。「お説教はたくさんだ」。その感覚も強まっているからだ。