能力がある生徒は力がつくが…
できる子たちにとっては力がつく(難しい読み取りになれたり、難しいリスニングに挑戦してやりがいを感じたり)ような状況ですが、中学の早い段階でつまずいている子には「さっぱりわからない」と感じ、あきらめてしまうという格差が増大したように思います。
まさに、自民党の教育再生実行本部が2013年に打ち出した「結果の平等主義から脱却し、トップを伸ばす戦略的人材育成」が学習指導要領を通じて学校現場に押し付けられ、格差と疲弊が広がっている様子がわかる。だが、トップ以外の普通の生徒たちはどうなるのか。ブラック企業のような無謀なノルマは教師も生徒も追い詰め、授業についていけない子や英語嫌いを大量に生みだすだけではないか。それでは子どもたちの英語力は逆に下がってしまう。
「英語での授業」の方針は非常に危険
それだけではない。新学習指導要領は高校に次いで中学校でも「授業は英語で行うことを基本とする」と定めた。これは危険で非科学的な方針だ。近年の応用言語学は外国語教育における母語の役割を重視する傾向にあるが、それに逆行している。
2021年8月に東京都で開かれた「中学生はつらいよ」という交流会では、「先生が英語で話すので、何を言っているのかわからない」と涙を流す中学1年生の例が紹介された。想像してほしい。あなたが「ロシア語入門の授業をロシア語でやります」と言われたら、どんな気持ちになるだろう。
教師たちは、こんな新学習指導要領に加えて、コロナ対応、さらにはGIGAスクール構想による一人一台のデジタル端末を使った授業にも対応しなければならない。まさに三重苦だが、だからこそ希望を見出したい。