「オタク男性のもの」という枠を超えつつある

石原が漫画やアニメによる過激な性描写に対して規制を進めたことで、ある程度の「健全化」を果たした萌え系は、上述したように広く浸透していまや若者には違和感がなくなりつつある。萌え系はもはやネットやオタク男性のものではなく、通常の表現方法だと言っていいだろう。

社会に定着した萌え系に対するフェミニズム側からの批判に、一部のネット言論は萌え系を「守るべきもの」という意識を持ちはじめている。石原が敵視したように、萌え系はもともと右派から嫌悪されやすく、保守と相性が良くない。私もその立場であり、多くの保守派と同じように、石原の戦いについてはさほど関心を持っていなかった。

そんな私でも、神田の街で神田祭の告知ポスターにアニメ『ラブライブ!』が描かれたのを初めて目にしたときに、その浸透度を実感した。神田祭をおこなう神田明神が『ラブライブ!』の舞台になっていた縁ではあるものの、神田祭は地元の祭りであり、神輿を担ぐ者は年配者が多い。その老舗神社が萌え系を違和感なく取り込んだことは、萌え系がサブカルチャーの枠を超えつつあることを意味している。

「未成熟なのに巨乳」という矛盾を表現

拙書『14歳からのアイドル論』(青林堂)で論じたように、日本には未完成・未成熟なものを愛する伝統がある。それは現代においては、「未成熟の一生懸命を応援する」というアイドルの消費の仕方に表れている。萌え系も基本的には未成熟を描いており、日本独自の表現形式から生まれたものだ。

さらに、萌え系の女性キャラクターは巨乳であることがままあるが、巨乳は母性を表現しており、萌え系には未成熟と母性という一見、矛盾する思想が表現されている。また、矛盾するからこそ二次元でしか表現できないとも言えるだろう。

未完成・未成熟なものを愛するという日本の伝統と、愛情で包み込むという伝統的な母性を成立させる表現形式の「成熟」を果たした萌え系は、日本の伝統に則っているからこそ保守になりうる性質があったのである。

私はこれを「萌え系保守」と名づけ、従来の保守とは違った保守のあり方の可能性を提案したい。