初めての友達
シェルターにいる間は、独自の学習プログラムを受け、小学校に通っていなかった上里さん。シェルターを出て暮らし始め、転校先の学校で6年生になった上里さんは、初めて友達ができた。
その友達の家に遊びに行ったとき、友達の母親が上里さんに家のことを聞いてきたので、母子家庭で生活保護であることを言うと、「うちも生活保護なのよ」と言っていた。その友だちの家族は、上里さんが遊びに行くと、ご飯を食べさせてくれたり、服をくれたりした。
「その友達にはお姉さんがいました。お母さんが鬱病、お姉さんは躁鬱と、うちとそっくりな状態だったのでよく覚えています。うちと違うのはお母さんもお姉さんもとても優しい人ということでした」
ただ、その家は40匹を超える動物を飼っていたため、遊びに行く度に獣臭、尿臭が上里さんの服についた。それを母親はひどく嫌がり、上里さんがその友達の家に行く度に、血反吐を吐くまで殴られ、床に叩き付けられた。
そんなある日、その友達が、「家族で遊園地に行くので、一緒に行こう」と誘ってくれた。だが、上里さんの母親が許してくれるはずもない。それでも許しを乞うと、母親は家中の鍵を締め、玄関チェーンの隙間に餅を切って詰めて外れないようにし、家に閉じ込めた。
しかし上里さんは諦めきれず、母親と口論している隙に窓の鍵を開け、真冬にもかかわらず、半袖・短パン・裸足で友達の家に向かった。母親はものすごい勢いで追いかけてきたが、上里さんは母親をまいて、友達の家に無事到着することができた。
理由を話すと、友達の家族は快く服と靴を貸してくれ、一緒に遊園地に連れて行ってくれた。その日の夜、遊園地から友達の家に帰ると、留守番電話に警察署と上里さんの母親から、何十件と留守電が入っていた。どうやら母親が、「娘が行方不明になった」と通報したようだ。それを聞いて怖くなった上里さんは、「帰りたくない」と友達のお母さんに泣きながらしがみついた。
すると友達の母親は、上里さんの頭をなでてくれた。そのときに友達の母親は、上里さんの頭部がへこんでいることに気が付く。日頃から体中の傷が気になっていた友達の母親は、その日は上里さんを家に泊めて、翌朝児童相談所に連絡。
上里さんが翌朝、児童相談所の相談員と一緒に家に帰ると、母親は発狂していた。上里さんを見るなり、怒り狂い、泣き叫び、襲いかかろうとしてくる。
「ア゙ア゙ー‼ お前なんか……お前なんか殺してやるヴヴヴ‼」
「うちの子じゃないイイイイ‼ ギィィヤア゙ア゙ア゙゙‼」
「この糞ガキイイイ‼ そんな子供産んだ覚えないイイイ‼」
発した音声は五十音図では表しようのない、負の感情の塊だった。上里さんは、母親のその言葉を浴びせられて、体は硬直し頭は真っ白になった。
母親は児相の職員たちに取り押さえられ、話ができる状態ではなかったため、その日のうちに上里さんは児童相談所に入所することに。気が動転していた上里さんは、施設に着いてから、「母親と姉妹たちは、しばらくあなたと暮らせる状態ではない」と職員から説明された。(以下、後編へ)