四面楚歌

母親の暴力が始まってから、上里さんはどんどん感情や表情がなくなっていった。なぜなら、上里さんが笑う・泣く・怒るなどの感情を表に出すと、母親からひどい暴力を受けるようになったため、感情を抑える癖がついていったのだ。

すると今度は、父親や親族など、周囲の大人たちから、「生意気な子どもだ」と言われるように。無表情なところが、不気味に思えたのかもしれない。

それは学校でも同様だった。級友は、上里さんが忘れ物をしたり、教師からあてられて答えられなかったりすると、しきりにばかにした。当時は任天堂DSがはやっていたが、貧しい上里家では買ってもらえるわけがなく、話についていけない上里さんは、「貧乏! 貧乏!」とからかわれた。

女子たちには罵倒され、無理やり砂場の砂を食べさせられたり、上靴を隠されたり。男子たちには、机の中に虫を入れられたり、蹴飛ばされたり、馬乗りになって殴られたり。そんな級友は上里さんが母親から虐待に遭っているなど、夢にも思わなかった。

肝心の教師たちは、母親の外面の良さにまんまとだまされ、何かあるとまず母親に連絡。教師からの連絡のせいで暴力がエスカレートすることも珍しくはなかった。

「学校の先生には、自分がいじめられていることを相談できませんでした。女なのに女が好きという、理由が理由ですから……。男の感覚なのに、ついていなければならないモノもない。心は男なのに女子トイレに入らなければならない。僕は1人で長い間考え悩みました。先生には、僕は宿題を忘れたりテストの点数が0点だったりする、問題児だと思われていたと思います」

母親からの暴力は激しさを増した。床に叩きつける、首を絞める、刃物を突き付ける、食事も飲み物もなし……。「目つきが悪い」「口答えをした」「泣いた」「学校に行かなかった」など、暴力の理由はいくらでもあった。

「ご飯がないときは、流し台のゴミポケットの中に入っているバナナの皮についた残りの甘いところを食べたり、お湯を注いで食べるスープのもとの袋をかじったり、焼いて食べる硬いお餅を何度もなめて柔らかくして、歯で削りながら食べたりしていました。それらもないときは、公園の水場でお腹いっぱいになるまで水を飲みました」

コンポストにバナナの皮を捨てようとしている手元
写真=iStock.com/PIKSEL
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