両親の離婚

上里さんが小4の頃(10歳)、両親(父親40代、母親30代)は離婚した。母親は、親の後を継いだ兄と仲が悪かったため、実家を頼れなかった。そのため、当時20歳になっていた長女の家に母親、次女(15歳)、妹2人(8歳と6歳)と5人で転がり込む。

「父は変な人でした。普段僕らに興味がなく、相手をしないし話しかけないのに、突然僕らを遊園地に連れて行ってくれたり、映画を一緒に観ようと誘ってきたり……。子どもながらに遊園地や映画は楽しい場所と認識していたので、僕は嫌がることなく一緒に行っていました」

長女には子どもが2人いた。そこに5人が加わり、生活は困窮を極めた。母親も働きに出ざるをえず、余裕がなかったのか、上里さんに暴力を振るうことはなくなった。

しかし5カ月ほどすると、突然長女の家を出ることに。母親と次女から「逃げるよ!」と言われ、荷物一つ持たず、夜通し歩いて「シェルター」に到着。するとすぐに職員の女性が出てきて、おにぎりを手渡しながら、「大変だったね、つらかったね」と労いの言葉をかけてくれた。

タラコとサケのおにぎり
写真=iStock.com/Alegrial
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なぜ長女の家を出なければならなかったのか。上里さんは今もその理由は「分からない」と言う。おそらく離婚したことに不満を持つ父親が、母親の居場所を突き止めたため襲撃される恐れがあると判断したのだろう。

危険を察知した母親と次女が事前に「女性センター」に相談していたことで、しばらくの間、家族5人で「シェルター」で暮らせることになったようだ。この頃上里さんは、小5になっていた。

「『シェルター』は、男性からDVや性的虐待を受けたり、ひどい環境下に置かれたりなど、主に女性が男性から避難して、心と体を守る場所です。僕の家族と同じような境遇の子もいました。避難してきた子どもの知能に合わせた学習プログラムがあり、日中僕らは勉強、母たちは新天地を探すのがルールでした。保護下なので外出は基本禁止、長くても3カ月ぐらいが保護期間だったと思います」

シェルターにいる間に母親が重度のうつ病であることがわかり、3カ月後のシェルターを出る際には、生活保護を受け、家族5人で2LDKのアパートに移ることになった。