4分の3の城は売却され、材木や薪に

廃城令は明治6年(1873年)に出された。幕末には、全国におよそ170の城があり、そのうちいくつかは、廃藩置県の前に撤去されていた。そして、陸軍施設としたものが「存置」として陸軍省の管轄となり、残りは「廃城」として大蔵省が売却した。

売却されたものの多くは解体され、材木や薪などとして使われた。主要な城の多くは陸軍用地として残されたが、堀を埋め立てられたり、建物も必要に応じて整理されたりした。

しかし、明治23年(1890年)になって、いったんは陸軍省用地としたが不用な城について「旧城主は祖先以来数百年間伝来の縁故により、これを払い渡し旧形を保存し、後世に伝えるなら歴史上の沿革を示す一端となり好都合である」として藩主などに売り渡すことが認められた。

同じ年に教育勅語が出されたのだが、文明開化が一段落して伝統文化再評価が進んだ時期であった。

ではどんな建物などが残ったのかだが、福沢諭吉が取り壊しを藩主に勧めた中津城(大分県)のように、旧体制の象徴として壊されたものもあるが、むしろ、陸軍の施設として広大な場所を確保するために邪魔な施設は壊されたり、売り渡されたあと建材や薪にされたものがほとんどだ。

「残すか、壊すか」の決め手は維持費用のコスパ

判断の分かれ目となったのは、旧藩士たちの愛着の有無もあるが、維持コストと使用価値との比較が決め手だった。

たとえば本丸御殿が残っているのは、高知城(高知県)くらいだ。御殿は窓もない大きな建物で豪華だから、大勢の奥女中などいなければ維持できない。場所はいろんな用途に使える一等地だし、壊すのも容易だから、ほかの城では本丸御殿は残らなかった。

写真=iStock.com/MasaoTaira
高知城

櫓は割に残っているが、ほとんど無傷ですべてが残っているとなると、姫路城くらいだ。丸亀城(香川県)は陸軍省管轄となり、現存の建物以外の櫓や城壁は解体された。

写真=iStock.com/Sanga Park
丸亀城