「古絵図か写真がないと復元させない」はおかしい

ところが、文部省(文化庁)が、史跡については写真や図面などたしかな証拠がないと復元を認めないと言い出した。とくに、特別史跡には厳しい。

安土城の復元は西武グループ創始者の堤康次郎が悲願としたが、狩野永徳が描き、ローマ法王に贈呈された屏風でも見つからない限りはダメと一点張りで、セビリア万博日本館に巨額の費用をかけて復元制作し出展した上層階は、近隣の展示施設に置かれたままだ。高松城も、写真が1枚しかないから全容が明らかでないと駄目と言われており、“被害者”のひとつだ。

一方、縄文時代の三内丸山遺跡や奈良時代の平城宮跡、薬師寺などでは、資料がなくとも復元させているのだから、風致を汚さねばいいはずだ。沖縄の首里城など地元の希望で焼ける前より豪華絢爛けんらんにしており、首尾一貫していない。

時代によって焼失や老朽化した建物のあとに、時代のニーズに合わせた用途やデザインの建築をすることは何も悪いことでない。

天守は城の飾りなので外観復元で十分

文化庁方針もあって、最近では本格木造での復元が主流となっている。その嚆矢こうしは掛川城だが、大洲、白石などもそうだ。しかし、天守閣は初期には実際に居住することもあったが、江戸時代に入るとランドマークでしかなくなり、倉庫と物見櫓としての機能が付加されているだけだ。それならば、外観復元で十分だろう。

掛川城(写真=Mocchy/PD-self/Wikimedia Commons)
掛川城(写真=Mocchy/PD-self/Wikimedia Commons

質の高い歴史景観復元が進むのは結構だが、地元に高額な木造を押しつけるのもおかしい。木造へのこだわりも、一種の文化財保護利権にむらがる建築家や関連業界の一種の“マフィア”(ムラ)の利益が背景にある。

昔どおりでなければ空き地にさせるのも無茶苦茶だ。全国の県庁など公共建築の多くが城跡にあるが、現在の建物が朽ちたら再建は許さず、史跡公園にしろといわれている。そこで、中途半端な耐震工事で間に合わせている。それなら皇居も国会も霞が関も江戸城趾である。文部科学省も最近、高層ビルになったが、虎ノ門跡公園にすればよかったはずで、地方いじめはやめたほうがいい。

あるいは、近代遺産の建築を建て直すときに新しいビルのなかに組み込むこともあるが、そういう手法もあってよい。たとえば、市役所の屋上に天守閣を載せれば、ビルの谷間に埋まっているより見栄えがする。