昭和の経営者の凄まじい「公私混同」ぶり

まず、1の《ワンマン経営者の「後継者」》だとなぜ会社を私物化しがちなのかというと、「以前のあの酷いワンマン経営者よりもオレなんか全然マシなほうだろ」という感じで、どうしても前任者を基準として物事を考えてしまうので、経営者としての倫理観が低くなってしまうからだ。

年配の方ならばわかっていただけるだろうか、昭和のワンマン経営者の「公私混同」ぶりは今と比べものにならないほど凄まじかった。運転手付きの社用車を休日も乗り回すのは当たり前で、会社で購入した豪華な別荘やクルーザーに銀座のホステスや芸者を呼んで乱痴気騒ぎなんてことが日常茶飯事だった。

さて、そこで想像していただきたい。そういう昭和のワンマン経営者の豪快な遊び方を、30~40代の若手の時に近くで見てその「おこぼれ」をいただいたような人が、そのワンマン経営者の「後継者」になったらどうなるか。

「これっぽっちの金」と悪びれない

「ああゆう古い体質は私の世代で完全に断ち切る」と決意するような立派な経営者もいるだろう。しかし、中には「昔みたいなことはできなくても、せっかく社長になったんだから少しくらいは……」と、前任者の振る舞いをスケールダウンさせて、個人的な飲食や遊興費を会社につけておくような“プチ豪遊”や、漫画や経費で購入するような“プチ使い込み”へ流れてしまう人もいるのではないか。

実際、筆者が会ったことがある「使いこみ社長」は、不適切な経費使用がバレた後も、取締役らが自分を追い出すための「策略」だと主張して、悪びれることもなくこんなことを言ってのけた。

「これっぽっちの金で大騒ぎをするような会社が成長できますか? 社長ってのは裏でいろいろな人間と付き合ったりしないといけないんです。昔の経営者はもっと山ほど金を使っていましたよ」

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人間は「教育」に左右される生き物だ。部活動で殴られながら一流選手になった人が、スポーツ指導者になればどうしても何かのきっかけで鉄拳制裁が出てしまう。頭では「今はもうそんな時代じゃない」と思いながらも、自分を強く鍛えてくれた「暴力」への誘惑が断ち切れないのだ。

それと同じで、ワンマン経営者の“私物化”ぶりを近くで見て育ったビジネスマンも、自分が経営者になった時に会社の私物化をしてしまう。「自分は前任者とは違う」と思いながらも、あのような傍若無人な振る舞いこそが、経営者には必要なのだ、という考えに囚われてしまうのだ。