日本の民主化には「漢字からの脱却」が必要

実はこの報告書には教育改革の一助として「国語教育」にふれた部分で、「国民生活にローマ字を採用する」ように勧告する一節があった。

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この背景には、日本が国粋主義に走るのは漢字文化がもとになっているのであろうから、この意識を民主的に変えるためには「漢字から脱却」させる必要があるとの考えがあったらしい。同時に日本には伝統的にローマ字論者がいて、そのグループが使節団に強硬に働きかけたとの説もある。

使節団は日本の教育現場をローマ字化するだけでなく、社会全体でローマ字が漢字や仮名にとってかわるよう訴えている。使節団に対応した南原繁・東京大学長らの日本側教育家委員会は、この考えに異議を唱え続けて翻意を求めている。そのため、小・中学校でもローマ字教育は行うが、それはあくまでもカリキュラムの一環ということになったようだ。

ローマ字化計画の根拠は「識字率の低さ」

この教育使節団には、第1次と第2次があり、ストダード団長の第1次は報告書を提出して教育改革を勧告したのだが、第2次教育使節団(W・E・ギブンス団長)は昭和25(1950)年8月に来日して、勧告が生かされているかを点検している。この第2次使節団来日の間に、実はGHQのローマ字論者と日本の国語学者との間で激しいつばぜり合いがあった。

この件について私は、かつて国立国語研究所の元所長・野元菊雄に詳しい事情を確認したことがある。野元の話やさらに一部の国語学者の証言をもとにこの駆け引きを改めて整理していきたい。

GHQ内部や日本国内のローマ字論者は、日本人の識字率は決して高くないのだから、ローマ字導入は今がチャンスと主張を続ける。この場合の識字率の低さというのは、漢字を読めてもその意味を理解していないことであり、それが狂信的なファシストを生むもとだということにもなる。

この一派には、単に教育使節団に食い込んだだけでなく、占領下に日本社会はローマ字化すべきだといって、東京都内の一等地を確保し、そこにローマ字の印刷機器も揃えて脱漢字の時代に備えるグループもあったという。野元は、ローマ字時代は決して遠い話ではなかったと述懐していたほどである。