アリの勝利を予想する者はいなかった

当日の体重は、フォアマンが220ポンド(約99.8kg)、アリは216ポンド2分の1(約98.2kg)だった。この時点での両者の戦績はフォアマンが40戦40勝(37KO勝ち)、アリは46戦44勝2敗(31KO勝ち)というものだった。

スタジアムの観客はほぼ全員がアリを応援していた。しかしラスベガスの賭け率は3対1でフォアマンが有利となっていた。イギリスのブックメーカー(賭け屋)でも11対5でフォアマン有利と出ていた。もっともそれさえもアリに甘い数字と見られていた。おそらく熱狂的なアリ・ファンが期待を込めてアリに賭けていたためだろうと思われていた。実際、ボクシングライターや評論家の中に、アリの勝利を予想する者はほとんどいなかった。

アリ・ファンだった筆者も同じだった。当時、18歳で大学浪人中だった筆者は、アリの勝利を願いながらも、あの偉大なアリが無様にリングに沈むかもしれないという恐怖にも似た思いで、NET(現・テレビ朝日)による午後1時からの生放送が始まるのを待っていた(より正確に言えば、筆者の住んでいた関西では「毎日放送」による放映だった)。

「猪木ボンバイエ」の元ネタ

アリが白いガウンを着てリングに上がると、観衆から「アリ・ボマ・イエ」という声が上がった。これはザイールの言葉で「アリ、あいつをやっつけろ!」という意味だ。この言葉は後にアリのテーマ曲に使われ、さらにアリが日本のプロレスラー、アントニオ猪木に贈り、猪木のテーマ曲「炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~」の元となった。

1967年のモハメド・アリ(写真=Ira Rosenberg/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons

遅れて赤いガウンを着たフォアマンがリングに上がると、スタジアムの方々からブーイングが聞こえた。チャンピオンにとっては完全にアウェーのスタジアムだった。両者がリング中央で向かい合ってレフェリーが試合前の注意を与えている間、アリはフォアマンに向かって何やら喋り続けていたが、フォアマンはいつものように無表情のまま無言でアリを睨みつけた。