アリの天才的な自己プロデュース
試合は9月25日に行なわれる予定だったが、アリもフォアマンも熱帯のアフリカでの気候に慣れるために、8月にザイールに入った。アメリカを発つ前、アリは報道陣に向かって、「フォアマンが俺をやっつけると予想するやつらは、アフリカに行ったら、モブツの家来たちに鍋に入れられて、食われてしまうぞ」と、いつもの調子で悪態をついたが、この発言はザイール政府を困惑させた。
ザイールの外務大臣がアリの関係者に電話して、「我々は人食い人種ではない。アリ氏の発言は我が国のイメージを損なうものである」と抗議する一幕もあった。
アリはキンシャサに入ると、たちまち人々の心をつかんだ。ザイール国民は彼を、アメリカの国家権力に立ち向かった男として、第三世界(アジア、アフリカ、南アメリカなどの発展途上国)のヒーローと見做した。実際は富める国の裕福なプロスポーツ選手であるにもかかわらず、ザイール国民にそうしたイメージを抱かせてしまうのがアリの天才的なところだった。
一方のフォアマンは同じ黒人でありながら、悪役とされた。彼はザイールに愛犬のシェパードを連れて来ていたが、ザイール国民にとって、シェパードはベルギー統治時代の警察犬を思い起こさせる犬で、そのため余計な反感を買った。
試合の8日前、アクシデントが生じた。フォアマンがスパーリング中に、スパーリング・パートナーの肘が目にあたり、まぶたを切ってしまったのだ。そのために試合は5週間後に延期となった。両者はいったん作った体とコンディションを再調整した。
ファイトマネーは2人合わせて30億円超
1974年10月30日、キンシャサの「5月20日スタジアム」(現・タタ・ラファエル・スタジアム)で、フォアマンの3度目の防衛戦が行なわれた。試合はアメリカに生中継する関係で、夜明け前の午前4時にゴングが鳴らされることになっていた。
普段はサッカーの試合に使われるスタジアムには約6万人もの観客が集まった。アメリカとカナダの450カ所以上でクローズド・サーキット方式によって生中継され、全世界の約100カ国でテレビ中継された。
両者のファイトマネーはそれぞれ500万ドルを超えた。この金額は、ジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノが生涯で稼いだ金額よりも多かった。もっとも貨幣価値が違うので、一概に比較はできないが、それでも桁外れの金額であることは間違いない。
ちなみにこれは日本円に直すと、約15億円である(その頃1ドルは約300円)。当時、日本の高額所得者番付の上位にいた松下幸之助(松下電器産業〈現・パナソニック〉相談役)、上原正吉(大正製薬会長)、石橋幹一郎(ブリヂストン会長)の所得が、10億円前後であるから、いかに破格のファイトマネーであるかがわかる。
また当時、日本のスポーツ選手では最高額の年俸を取っていた王貞治は5220万円(推定)である。