それでも高市氏は一歩も引かない様相だ。記者団から「閣内でこのような発言をするのは異例」と問われたのに対し「一定の覚悟を持って申し上げております」と語気を強めた。13日の記者会見では「間違ったことは言っていない。罷免されるのであれば仕方がない」と踏み込んだ。もはや更迭覚悟で倒閣運動を仕掛けたといってもよいだろう。

高市氏は昨年秋の自民党総裁選に、右寄りな政治信条をともにする安倍晋三元首相に担がれて出馬した。4候補のうち、第1回投票で岸田氏、河野太郎氏に続く3位にとどまったが、右派言論界をはじめ安倍氏の岩盤支持層から熱狂的に支持され「安倍氏の継承者」の立場を強烈にアピールした。

岸田首相は高市氏の背景にいる安倍氏と安倍支持層の存在を無視できず、高市氏を政調会長として厚遇した。一方で、清和会からは「なぜ無派閥の高市氏なのか」という不満が広がっていた。

唯一の後ろ盾を失う

今年7月の参院選最中に安倍氏が銃撃されて急逝し、高市氏は自民党内で唯一の後ろ盾を失った。

政界引退後も清和会に強い影響力を残す森喜朗元首相は清和会の次期会長候補として、萩生田光一政調会長、西村康稔経済産業相、松野博一官房長官、高木毅国会対策委員長、世耕弘成参院幹事長の5人の名を挙げた。高市氏を推す勢力は自民党内から消え失せてしまったのである。

けれども高市氏はくじけなかった。安倍支持層の熱狂的支持を武器に巻き返しの機会をうかがっていたのだろう。

高市氏は8月の内閣改造で政調会長から経済安保相へ横滑りしたが、この時もツイッターで「組閣前夜に岸田総理から入閣要請のお電話を頂いた時には、優秀な小林鷹之大臣の留任をお願いするとともに、21年前の(旧統一教会関連の)掲載誌についても報告を致しました」と投稿し、一度は入閣を固辞したことを暴露。

大臣就任後も小林前大臣からの引き継ぎ式を中止し、内閣府職員へのあいさつ式も欠席したうえ、「入閣の変更が無かったことに戸惑い、今も辛い気持ちで一杯です」とも投稿し、岸田首相と距離を置く姿勢を鮮明にしていた。

岸田首相が「防衛増税」を打ち出し、防衛費増強を声高に訴える清和会からも増税反対論が噴出したこの年末は、自民党内に支持基盤のない高市氏の目には「絶好の勝負どころ」と映ったに違いない。

写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです

狙いは「倒閣運動」の旗頭

岸田首相が増税方針を声明した12月8日の政府与党連絡協議会には、高市氏だけでなく清和会の西村経産相も呼ばれなかった。

西村氏が翌9日の記者会見で「このタイミングで増税については慎重にあるべきだと考える」と不満を表明したことも高市氏の背中を押しただろう。