ここぞとばかりに季長は畳みかける。
「土地をめぐる裁判や、日本国内での合戦の勲功でしたら、決められた手続きに則って申し上げます。ですが異国との合戦は前例のないことです。手続きにこだわらなくても良いでしょう。手続きから外れているという理由で景資殿にお尋ねなさらず、それがしの先駆けの功が将軍のお耳に入らないことになっては、武士としての面目が立ちません」と長広舌をふるった。
泰盛は「言いたいことは分かるが、幕府の恩賞は、手続きに則った申請がなければ与えられないのだ」と説得を試みる。けれども季長はあきらめない。
「重ねて申し上げるのは恐れ多いことですが、すぐに恩賞を賜りたいと訴訟しているわけではございません。先駆けの功についてお尋ねいただき、偽りであったならば、勲功を捨てて、それがしの首を差し上げます。事実であると明らかになりましたら、将軍にご報告いただき、それがしの名誉としたいのです」と訴える。
恩賞目当てではなく、あくまで武士の名誉の問題であると再三強調している点に、季長のしたたかさがうかがえる。
ゼロ評価から一転、「奇異の強者」に
根負けした泰盛は「合戦の功績については承った。必ず将軍のお耳に入れよう。恩賞も間違いあるまい」と請け合った。後日、呼び出された季長は泰盛から恩賞の沙汰を言い渡され、さらに馬を与えられた。季長はよほど嬉しかったらしく、絵巻では馬を拝領する場面が印象的に描かれている。
泰盛はなぜ季長に恩賞を与えたのだろうか。季長が泰盛の家人から教えてもらった話によると、泰盛は季長について、己の首を賭けて恩賞を迫る「奇異の強者」と評し、後日の一大事に役立つ男だと語ったという。
安達泰盛は時の執権、北条時宗の舅である。幕府の重鎮を相手に一歩も引かずに啖呵を切った季長の度胸を、泰盛は買ったのだろう。季長は「名ぜりふ」によって人生を切り開いたのである。