2021年、宮内庁所蔵の『蒙古襲来絵詞』が国宝に指定された。発注主・竹崎季長は、文永の役・弘安の役に参加しており、絵巻はモンゴル軍の侵攻を知る貴重な史料といえる。歴史学者の呉座勇一さんは「絵巻の描写から、鎌倉武士のリアルを読み取れる」という。著書『武士とは何か』(新潮選書)からお届けする――。
蒙古襲来に関する一級史料
2021年、宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されている『蒙古襲来絵詞』が国宝に指定された。『絵詞』は天草大矢野家に伝来し、明治23年(1890)に同家が皇室に献納し、御物(皇室財産)となった。現在は宮内庁所蔵である。
この絵巻の発注主は、竹崎季長という肥後(現在の熊本県)の武士で、文永の役・弘安の役という2度のモンゴル軍侵攻に際し防戦に参加した。後年、季長は両度の合戦での自身の活躍を後世に残そうと考え、絵巻を制作したのである。
実は、文永の役・弘安の役の詳細な戦闘経過を記す日本側史料は乏しい。文永の役の全体像を描いた史料としては『八幡愚童訓』が知られている。これは、八幡神の霊験を子どもにも理解出来るように説いた寺社縁起である。今で言う宣伝パンフレットだ。石清水八幡宮の社僧の作と考えられている。
しかし『八幡愚童訓』は、八幡神の霊力によってモンゴル軍を撃退したと喧伝したいがあまり、鎌倉武士の無能さを誇張している。同書はまるで見てきたかのように戦闘の様子を事細かに語るが、荒唐無稽な描写が散見され、信用できない。
その点、『蒙古襲来絵詞』は実際に戦闘に参加した竹崎季長の証言に基づいているので、史料的価値は断然高い。詞書は具体的かつ詳細で、絵もリアルだ。まさに蒙古襲来に関する一級史料と言えよう。宮内庁所蔵という特殊事情で国宝指定が遅れたが、国宝級の文化財であることは以前から認められていた。