その後、「少ない匹数では試験ができない」ということで、新しいフグを入れるために残りの50匹を処分することになった。

「僕はそれにひどく参ってしまって……。実験中に死んでしまうなら原因の解明につながるけど、こういう死に方はその命が意味のないものになってしまいます。ただ生まれて死ぬだけみたいな。それがすごくつらかったんです」

胸を痛めた生き物が「フグ」だったというのも、未来への伏線だったのかもしれない。以来、下西は「人間の勝手で生き物の命を粗末にしたくない」と強く思うようになった。

高齢者ばかりの村だからこそ

時を経て、2020年の春。天川村でトラフグの養殖の実験を行っていた下西は、「近い将来、フグをさばける人が必要になる」と考え、まずは自分がフグ調理師免許を取得しようと調べ始める。

ただ、免許を取得するための講習会は、奈良県内で10人以上集まらなければ開催されないことになっていた。

「逆を言えば、天川村で免許を取りたい人が10人以上いたら、こっちで開いてくれるかも……」

そう思った下西は弓場課長に相談。弓場課長が奈良県庁に掛け合い、天川村で講習会の開催が決定した。さっそく募集をかけると、定員20名のうち16人の村民が集まった。

中でもひときわ目立っていたのが、食事処兼お土産屋「今西商店」の今西親子だった。

「フグの捌き方が初めてとは思えないくらい上手でびっくりしましたね。村内で魚類の販売許可を持っているのも今西商店だけなので、天川村のフグを捌いて売るのはほぼ今西さんたちです」

筆者撮影
今西商店。平日だが食事を楽しむ客で賑わっていた。

今西さんのような人が天川村のフグに注目するのは、観光客の減少だけでなく、村の「人口の流出」が深刻な問題となっていたからでもある。

林業が主な産業だった天川村は、ピーク時の1956年には人口が約6000人いたが、林業の衰退にあわせて人口も減少の一途をたどり、現在ではわずか1300人になった。

過疎化に立ち向かう村民にとって、観光客の呼び込みや雇用の創出が見込めるフグの養殖はまさに「期待の星」。だからこそ、ひたむきな下西の姿勢に心を動かされた村民たちがいた。

筆者撮影
「下西くんにはこれからもがんばってもらいたい」と話す今西さん。

「将来、フグを食べに天川村に来てくれる人がいたら……」
「若者が村のためにがんばってくれるのがうれしいよ」
「どうか、うちの村を生き返らせてね!」

暮らしのなかで、村民らの応援の声が届く。下西はプレッシャーで身が縮まる思いをしたが、それと同時に「お世話になっているみんなの役に立ちたい」と思った。

筆者撮影
天川村の洞川温泉街。