戦争で亡くなった方に思いを馳せる

生きたくても生きられなかった方々がいた。自分の命をなげうってでも、後世の人々の幸せを祈った人がいた。当然生き延びて生を謳歌おうかしたかったけれども、やむを得ず命をなげうたなければならなかった方々がいた。そんな方々の思いを受けとめたとき、私たちは、すっと立ち上がり、やるべきことをやろうという気持ちになるものです。

そのために、先の世界大戦の記録や、神風特攻隊(特別攻撃隊)の隊員の方々の遺書などを読んでみてはいかがですか。

鹿児島県鹿屋市にある知覧特攻記念館。屋外に展示されている特攻隊員の銅像「とこしえに」と航空自衛隊練習機T-3(2011年7月26日、写真=STA3816/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

私たちは、先の戦争について知らないことが多いものです。戦争の善悪や国の善悪の問題ではなく、人類が戦争をしてきて、それは何のためだったのか。人々はそこで何を体験していたのか。それをよく知るということです。

特に、私たちの直接の過去である先の世界大戦について調べ、その当時の人々の思いを深く味わってみましょう。私たちはあの戦争を踏まえた世界を生きているのです。そして、現在でも戦争が世界各地で起きており、そこで暮らさざるを得ない人がいるということにも意識を伸ばしていきましょう。

胸に感じたものをベースにして、もう一度立ち上がり、今日を生きていってください。

遺書を書いてみる

私たちが先延ばししていられるのは、まだ時間があると思っているからではないでしょうか。明日でいいや、そのうちいつか、時間ができたらと思っていられるのは、私たちに明日以降の時間があると思っているから。

しかし、私たちは自分にどれだけの時間が残されているのか知ることはできません。いつ何時天災や事故や病気に見舞われるかわかりません。本当はいつでも一寸先は闇なのです。そのことを忘れているので、いつかそのうちにやろうと考えていられるのです。

もしも自分のやりたいことややるべきことに取り組めず、いつも先延ばししているようであれば、一度、ご自身の遺書を書いてみましょう。

今日突然、この世を去らなければならなくなったと仮定して、これまでにやってきたこと、やり残したこと、家人や友人、そして後世の人に伝えておきたいことを遺書という形にまとめてみるのです。

実際遺書に書いてみようとすると、いかに何もしてこなかったか、いかになんの実績も残せていないか、いかに人を愛してこなかったかということに気づかされることでしょう。

もう時間が残されていないのです。今日、この世とおさらばする。もう先送りしてきたことには金輪際取り組むことができないということがわかるでしょう。

世界の見え方が一変するはずです。