後悔のない人生を過ごすには、なにが重要なのか。元『新潮』編集長で民俗研究者の前田速夫さんは「古代ローマの哲学者セネカは、『何かに忙殺されている人間のいまだ稚拙な精神は、不意に老年に襲われる。何の準備もなく、何の装備もないまま、老年に至るのである』と論じている。この忠告を忘れてはいけない」という――。

※本稿は、前田速夫『老年の読書』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

セネカ
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古代ローマの哲人セネカの人生観

ローマの哲人にして文人政治家、セネカ(前4~後1―65)の場合はどうか。彼は同じ古代ローマの雄弁家、文人政治家、哲学者であるキケロ(前106―前43)没後の帝政時代初期、カリギュラ帝、ネロ帝が君臨した剣呑な時代を生きた。身辺の波瀾はらん万丈は、キケロ以上だったかもしれない。

生まれは、スペインのコルドバ。少年時代にローマに出て、弁論術を学んだ。財務官の地位を得て元老院入りし、法廷での弁論で名声を博するまでは、キケロと同じジグザグの道を歩み、カリギュラの逆鱗げきりんに触れることがあって、この時は帝の愛人のとりなしで危うく死を免れた。

次のクラウディウス帝の時代は、陰謀でコルシカ島に流され、8年後に呼び戻されてネロの教育係となり、彼が帝位につくと生涯の絶頂をきわめ、最後はそのネロの犠牲となって自死を命じられる。

「諸君は哲学の教えを忘れたのか。不慮の災難に備えて、あれほど長いあいだ考えぬいた決意はどこへ行ったのか。ネロの残忍な性格を知らなかったとでもいうのか。母を弑し、弟を討ったら、師傅しふを殺す以外に何も残っていないではないか」

これは、歴史家のタキトゥスが著した『年代記』(上下、国原吉之助訳、岩波文庫、1981年)に載るセネカの言葉だが、このあと彼が妻の願いを容れて2人ともに自害するときの模様は、次のように書き留められている。

二人は同時に、小刀で腕の血管を切り開いて、血を流した。セネカは相当年をとっていたし、節食のため痩せてもいたので、血の出方が悪かった。そこでさらに足首と膝の血管も切る。激しい苦痛に、精魂もしだいにつきはてる。セネカは自分がもだえ苦しむので、妻の意志がくじけるのではないかと恐れ、一方自分も妻の苦悶のさまを見て、今にも自制力を失いそうになり、妻を説得して別室に引きとらせた。最期の瞬間に臨んでも、語りたい思想がこんこんと湧いてくる。そこでセネカは写字生を呼びつけ、その大部分を口述させた。