生きづらさを解決するにはどうすればいいのか。心理カウンセラーの中島輝さんは「人生を楽しむには、心の余裕がいる。これには『知らんがな』という言葉が有効になる。目の前の問題にとらわれすぎてはいけない」という――。

※本稿は、中島輝『「知らんがな」の心のつくり方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

霧の森のなかで一人の中年男性
写真=iStock.com/FrankyDeMeyer
※写真はイメージです

35年間、森のなかを彷徨っていた

わたしは、これまでの人生で「あいまいさ」を見失っていた時期がとても長く、35歳になってはじめて、ようやく本来の自分を取り戻すことができました。それまでは、まるでうっそうとした森のなかを彷徨っている感じで、ただ目の前に現れる木だけを見て生きていたと振り返ることができます。

つまり、ものごとを大局的に見られなくなっていたわけです。

目の前の木(=他者、出来事、問題など)だけを見て、「どうやってこの木に勝てばいい?」「どうやってこの木から逃げようか?」とばかり考えていました。

本当は、森のなかにはいろいろな木が生えて豊かな生態系が広がっているはずなのに、それらには目が行かず、ただ自分を追い詰めて、そんな自分を守るために何重にも鎧を着けていました。自分や他人の「あいまいさ」に立ち向かう勇気がないから、必死に鎧で身を守っていたのです。

当時のわたしを知る人に聞くと、いまと比べて話し方もかなり違っていたと指摘されます。異様なまでに早口で、それこそ誰かが「あいまい」なことをいうと、「それ論理的におかしいよ」「その意見は矛盾している!」と、ばっさり切り捨てるような態度だったそうです。

物事を多面的にとらえられなかった

35歳になるまで、心のなかにある本当の思いをいちども人前でいったことがなく、ただ目の前の木に反応しているだけの人生を送っていたような気がします。

また、わたしはものすごく頑固でした。趣味や関心事が偏っていて、興味があるものに徹底的にこだわるのはいいものの、内実はものの見方が狭いだけで、凝り固まった視点を変えることができませんでした。

例えば、ある時期にフランス映画を熱心に観ていましたが、ほとんどのフランス映画を観てフランス語を勉強し、好きな映画の台詞も話せるようになるなど、ちょっと極端なのめり込みようでした。それだけならまだしも、フランス映画以外のものは、「ダサっ!」と切り捨ててしまうほどです。

つまり、ものごとを多面的に見ることもできませんでした。

ここに、水が半分入ったコップがあるとします。すると、本来人間は「まだ半分も水がある」「コップの空いた部分でなにができるだろう?」などと発想できる、「あいまいさ」を持っています。

でも当時のわたしは、ただ「水が半分しかない!」としか考えられませんでした。自分で「これしかない」と思ったら、もうそれだけにとらわれてしまっていたのです。