※本稿は、ジェニファー・ウォレス『「ほどほど」にできない子どもたち 達成中毒』(早川書房)の一部を再編集したものです。
よい親になるためには、自分を労わらなければならない
母親であることは手強い仕事だ。コミュニティの規範となる大きな波に逆らって泳がなければならないときはいっそう過酷になる。
子どもをきちんと愛するためには──子どもへの支援と自主性の尊重とのあいだに引かれた細いラインの上を歩くためには──当然ながら感情面と肉体面の資質を持ち合わせていなければならない。穏やかな心や平静さが要求されるが、親もまた支えを感じることができなければ、そういった資質を維持することは不可能である。よい親になるためには、自分を労わらなければならない。
とはいえ、まっさきに自分を労わってよいのだろうか。この考えを受けいれるのは容易ではない。なんといっても、社会が親である私たちに──とくに女性に──求めるものとは正反対なのだから。

この矛盾について、アリゾナ州フェニックスで研究者のスニヤ・ルーサーと会ったときにフィッシュタコスを食べながら語りあった。ルーサーは表情豊かな茶色の瞳を持つ小柄な女性で、専門分野の頂点に立つ者に特有の威厳ある物腰を身につけている。
私の向かいに座って、母親自身のメンタルヘルスがどれほど重要なものであるかをていねいに説明してくれた。私は話のあいまに頷きながら黄色のメモ帳に書きつけていった。しかし私の猜疑心を見透かしたかのように、ルーサーがこちらを見つめているのにすぐに気づいた。私が顔を上げるとルーサーは眉をひそめた。
母親にも「酸素マスクをつけてくれる相手」が必要
「どうして母親はこの考えに激しく抵抗するのでしょうか」とルーサーが尋ねた。「まずは自分を労わることが重要だと理解しないのはなぜかしら」
「『まずは自分の酸素マスクをつけなさい』という意味ですか」と私は問い返した。ようやくルーサーの言いたいことがわかってきたような気がした。
「いいえ」とルーサーは力強く答えて、テーブルに身を寄せた。「女性のやるべきリストはただでさえ長いのだから、新たな項目を加えるように言っているわけではありません。私が言っているのは、あなたに酸素マスクをかぶせてくれる相手が必要だということ」
私は深く座り直して、マルガリータをひとくち飲み、彼女の言葉を消化しようと努めた。ルーサーは私をじっと見つめた。そしてついに真底いらだったようにこう言った。「自分のためにできないのならば、子どものためにやりなさい!」