完璧なバランスだった「11人対11人」

1866年3月31日、バターシー・パークのフィールドで行われた試合では、ロンドンが2対0でシェフィールドを破った。しかし、その午後の試合での最も重要な結果は、この試合以降、サッカーの1チームの人数が11人に決まったことだ。

試合に出場した両チームの選手も観客たちも、フィールドの広さと出場選手の数の完璧なバランスが見つかったことを大いに喜んだ。イングランドサッカー協会がこのルールに同意した日時の正確な記録は残っていないが、チームの幹部、選手、ハロウの元生徒という複数の立場でのアルコック監督の影響力が、短時間のうちにこの人数を最終的な結果としてまとめるうえで決定的な役割を果たした。

以後、11人という数字は変更されることなく、こんにちに至っている。ロンドン対シェフィールドのこの試合が持つ大きな意義はそれだけにとどまらない。サッカーのもうひとつの非常に重要な基準を決めるうえでも大きな役割を果たすことになる。

1~3時間だった試合が90分に決定

さきほど、90分間で行われた最初の試合は、1862年にケンブリッジ大学のフィールドで開催されたイートンとハロウの卒業生同士の対戦だったと述べた。その年まで、シェフィールドの規則での試合時間は1時間から3時間までとされ、それぞれの試合の長さを決めるのはチームのキャプテンだった。

ルチアーノ・ウェルニッケ『サッカーはなぜ11人対11人で戦うのか?』(扶桑社)

ほかのもっと古いルールでは、時間の長さに関してはそれよりもさらに曖昧だった。1855年までにシュルーズベリー・スクールでは、「どちらか一方のチームが2本のゴールを決めるまで」試合を続けるというルールが確立していた。このルールを今のテレビ中継に当てはめることは不可能だろう。試合がすぐに終わってしまうかもしれないし、攻撃に積極的ではないクラブ同士の対戦だと退屈な時間が延々と続くことになる。

90分という指針がどのような経緯で試合のルールに取り入れられたのかを判断できる資料は見当たらない。イングランドサッカー協会の設立後、前半と後半45分ずつで合意した同協会主催の最初の試合が、1866年3月31日のバターシー・パークでのロンドンとシェフィールドのチームの対戦だったということはわかっている。

各チームの選手の人数を定める役割も果たしたこの試合の時間制限は、シェフィールドのチーム側から提案があり、両チームのキャプテンによって受け入れられた。特に熱心だったのがアルコック監督で、そのバランスと実用性に気づいた彼は、すぐに競技の規則に取り入れた。

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