サッカーの最初の「公式ルール」では、選手の人数や試合時間は決まっていなかったという。現在のようなルールになるまでに、どのような経緯があったのか。サッカージャーナリスト、ルチアーノ・ウェルニッケさんの著書『サッカーはなぜ11人対11人で戦うのか?』(扶桑社)より、一部を紹介する――。(第2回)
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ロンドンのパブで決まった「公式ルール」

1863年10月26日、競技のルールを統一するために、そして「ラグビー・フットボール(ラグビー)とアソシエーション・フットボール(サッカー)の道筋」を厳格に区別するために、ロンドンの11のクラブの代表者と、ほかの都市のチームの代理人――「オブザーバー」としてのみの参加で、発言権や投票権を持たなかった――が、イギリスの首都ロンドンの中心部のグレート・クイーン・ストリートにあるパブ「フリーメイソンズ・タバーン」に集まった。

店内ではビールのグラスを傾け、高級なタバコをくゆらせながら、代表者たちはイングランドサッカー協会(FA)を設立することに合意した。これはサッカーでは初となる運営組織だった。

同じ会合で、代表者たちは最初の「公式の」ルールの起草に着手し、2カ月と数回の話し合いを経て、14条のルールを作成した。

「紳士の競技」なので審判は「不必要」

この最初期のルールの作成者たちは、会合の際におそらくビールが回ってしまって頭の方はよく回っていなかったため、1チーム当たりの選手の人数や試合の長さ(時間を基準にするか、得点数を基準にするか)といった基本的な点を見落としていた。

審判については会合において議論されたが、出席者たちはサッカーが「紳士の競技」であり、それゆえに仲裁者の存在は「不必要」と見なすことで合意したため、最終的に規則から外されることが決定した。

21世紀の現在、高い技術を持つプロの選手が激しいプレイを見せるこのスポーツにおいて、審判は不可欠な存在になったばかりでなく、その人数も増えた。多くの公式戦は、主審ひとり、副審ふたり、第4の審判員ひとり、ゴールポストの近くでボールがゴールラインを越えたかどうかを確認する追加の審判ふたりで行われる。

これだけの数の人の目でも不十分だと言うかのように、FIFAは2014年のワールドカップで「ホークアイ」を導入した。これはゴール周辺に設置された7台のカメラによってボールがゴールラインを通過したかどうかを判断するシステムだ。