10回のインタビューでわたしが教わったこと

「私は正式に演技を習ったことはない。好きな俳優の映画を見て真似をしていただけだ」

彼が手本にした俳優とはジャン・ギャバン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・デ・ニーロ……。いずれの俳優も「低い声でゆっくり話し、多くを語らない」。

高倉健は彼らを真似た。そして映画に出演しているうちに、自然にスターでいるコツを体得したのだろう。

撮影=山川雅生

高倉さんが亡くなって8年がたった。わたしは生前、ご本人に10回、直接、インタビューの時間を持った。十数年間、取材したけれど、1時間以上のインタビューをしたのは10回だけである。ただ、ロケ現場、撮影所では頻繁に会って、立ち話をした。彼が行きつけにしていた品川の理髪店「バーバーショップ佐藤」の専用個室でコーヒーを飲みながら話をしたこともある。

「野地ちゃん、佐藤さんのところで髪の毛を切りなよ」と言われ、同店が閉店するまで10年間、毎月、通った。

高倉さんはほぼ毎日、バーバーショップ佐藤にいたから、わたしが散髪していることを知ると、たまに部屋に呼んでくれて、話を聞かせてくれたのだった。

飲まない高倉さんが、一杯だけ飲んだあの日

同じテーブルで食事をしたのは2回だけだ。ロケ先が1回、都内が1度。ロケ先は鹿児島のイタリアンレストランで、都内はホテルのカジュアルレストランだった。

魚は好きじゃなかった。だからといって肉が好きというわけでもない。俳優としての体を維持するため、食べるものには気を遣っていた。

2度のうちの1度目は『ホタル』のロケで訪れた鹿児島だった。わたしは入口を背にした席に高倉さんと並んで腰かけ、向かいの席には東映の社長と小林稔侍さんが並んだ。

その時、彼は赤ワインを一杯だけ飲んでいた。

「酒は飲まない」と聞いていたから、わたしは目を丸くして見ていた。すると、視線に気づいた彼は「一杯くらいは飲むんだ」と言っていた。その後も話をしながら、少しずつ口に運んでいた。

かつては酒を飲んでいた時代もあったけれど、「酔っぱらって暴れたことがあったから」やめたそうだ。しかし、その夜は上機嫌だった。

「丹波哲郎さんが日本語と英語でセリフをしゃべるシーン」という真似をしてくれたのである。本物の丹波哲郎さんよりも丹波哲郎らしい声としぐさだったのをわたしは忘れない。

「この人は物真似でも食べていける」と思ったけれど、そんなことはもちろん言わなかった。

ただし、物真似および個人的な話を聞いたのはその時一度きりである。