「枚挙的帰納法」は陰謀論と変わらない
中国には13億人もの人がいます。これだけ大人数いれば、マナーが悪い人だけでなく、マナーがよい人も必ずいるでしょう。全員に会ったわけではないなら、「中国人はみんなマナーが悪い」という主張は成り立たないことがわかります。これぞまさに汎用性のないエビデンスと言えます。
このように、個別の事例をいくつかピックアップして、「私が会った人はこうだった。だからこの説は正しい」「私が経験した事例はこうだった。だからこの説は正しい」と主張するのは「枚挙的帰納法」と呼ばれます。日常生活でも、この「枚挙的帰納」を使う人は非常に多いです。
これを繰り返すのは、「私の知り合いの知り合いがワクチンで死んだから、ワクチンは危ない」というような反ワクチンの陰謀論となんら変わらないと言えるでしょう。目の前に出されたエビデンスとして、「私の知り合いの知り合い」などといった個別事例を挙げられた場合は、「それは枚挙的帰納法なので、エビデンスにはならない」と指摘しましょう。
このように、「どんなデータならばエビデンス足りえるか」を押さえておくことは、誰かと議論する上では欠かせないテクニックと言えるでしょう。
日本の景気の評価にGDP統計は不適切
いかにエビデンスが正しくとも、論拠が間違っている場合もあります。
論拠とは、「その主張を成り立たせるための根拠」です。
たとえば、最近多い、日本の円安が景気悪化を招いているとの主張を取り上げてみましょう。こうした主張はだいたい、「円安の影響で日本のGDPがドル建てで見たときに減っている。だから、日本の景気は悪い」というロジックで成り立っています。
しかし、日本で給料をもらっていて、日本で生活しているのに、景気についてドル換算する必要って、あるのでしょうか。「お前は、もらった給料をドルに換えて生活しているのか?」という話です。
確かにドル建てにしたGDPの数字自体はエビデンスとして存在します。しかし、そのエビデンスを、「日本国内の景気が悪い」という主張と結びつけるのは無理があります。円高になってドル換算のGDPが増えれば日本は景気がいいということになりますか? なるわけがありません。
つまりこのロジックに従えば、GDP統計は日本経済を評価する上で何の意味もなさなくなるわけです。つまり、日本の景気の善し悪しを見るには不適切な指標ということになるわけです。