エビデンスの穴を突けば、論破は簡単
定義をしっかり考えた上で、エビデンスを確認するのは議論の常套手段です。たとえば、「中国の景気がよい」という主張をする場合、「その理由は、携帯電話の組み立て工場が中国に大量にあるから」というロジックを検証すればよい。
エビデンスが主張と結びつかない。
エビデンスが不適切である。
もしくは、エビデンスは正しいとしても、その主張は成り立たない。
その場合、これらの穴を突くことができれば、論破は簡単です。
相手が言っている言葉を正確に確認して、その論理構成を理解した上で、エビデンスを確認する。逆に言えば、エビデンス自体の信ぴょう性があれば、そのロジックはかなり信じられるものだと考えていいでしょう。
ひろゆきさんに限らず、議論する際に不適切なエビデンスを挙げる人は決して少なくありませんし、エビデンスの事実誤認も非常に多いです。
たとえば、ひろゆきさんは、「欧州のように、デフレ経済でも景気がよくなるケースはある」とおっしゃっていましたが、ヨーロッパの物価上昇率を調べてみると、その上昇率が2年以上連続でマイナスになったことはありません。
そうなると、ヨーロッパは定義上デフレを経験していない。この時点で議論は終了です。
汎用性のないエビデンスを攻めよ
定義やエビデンスが正しいとしても、主張がすごく特殊で部分的な事情を説明しているだけで、全体を説明していない場合は、その穴を追及することもできます。
つまり、誰かの議論を見る際は、「その主張に付随するエビデンスは正しいか」、「そのエビデンスを使ったロジックには汎用性があるのか」という2つの判断基準を意識すると、論理が整理しやすくなるでしょう。
たとえば、経済をテーマに議論をしているのなら、汎用性のあるエビデンスとして挙げられるのが、経済理論や過去の経済的な現象に関する分析、為替レートや株価、GDPなど様々な数値などが考えられます。その数値が実数か名目か。つまり、物価で割り戻しているのか、割り戻していないのか。そういった中身をよく吟味することも大切です。
では、汎用性のないエビデンスとはどんなものでしょうか?
「私が会った中国人はみんなマナーが悪かった。だから中国人はみんなマナーが悪いに違いない」という主張を聞いたとき、みなさんはこれを、「エビデンス足りえる」と思うでしょうか?