運営チームとスタッフはあくまで対等な立場
もちろんそれですべての問題が解決するわけではない。ボイルは我を出さずに他人の意見に耳を傾けられる人だが、それでも数多くのスタッフたちに存分に創造性を発揮させるのは簡単ではなかった。皆が自由闊達にアイデアを出せるようにし、しかも混乱に陥らないようにしなくてはならない。
ボイルはどうしたか。それは本稿でも重要視していることである。スタッフ全員を尊重し、信頼したのだ。
これは心の中でただそう思っていたのではない。ボイルはその姿勢が誰の目から見てもわかるようにした。
まず、運営チームはスタッフより上位にいるのではなく、スタッフと対等だとわかるようにした。運営チームの人間が高いスーツを着て高い位置から作業の様子を視察するといったことは決してないようにしたのだ。もちろん、スタッフに対して威張った態度を取り、偉そうに命令することもないようにした。
期日が近づいた時には、工事の責任者も現場に出て、皆とまったく同じに懸命に働いた。衣装の責任者も、スタッフに混じって同じ縫製作業をした。雨が降った時には――何しろロンドンなので雨は多い――ボイル本人も屋根のない場所に立ち、皆と同じようにリハーサルを進行させる作業をした。
ボイルが報酬を受け取っていなかったこと、それを皆が知っていたことも役立った。また、スタッフたちが作業している中を歩き回る時――よく歩き回っていた――ボイルがアシスタントを連れず、いつも一人だったことも重要だった。そのおかげでスタッフとの間に壁ができなかったのだ。
こうした努力の結果、スタッフは次々に有用なアイデアを出すようになった。舞台装置に関するアイデア、ドラミングなどサウンド面に関するアイデア、モダン・ダンスなどの演出面に関するアイデア、グラウンド整備や工程管理などに関するアイデアなど、その種類も様々だった。
報酬を上げようとするスタッフにボイルが取った行動
理想的な状況のようだが、すでに書いた通り、ボイルは決して「お人好し」ではなかった。どれほど注意しても、危険はあるので、それに対する「防衛」は常に考えなくてはいけない。本稿でも、それを重要ポイントの一つにしている。ボイルは防衛に関しても経験が豊富だった。彼は、どういう時にどういう危険があるかをよく知っていたのだ。
たとえば、映画『スラムドッグ$ミリオネア』には、ラヴリーン・タンダンというインド人のスタッフが関わっていた。彼女は温かく優しい人で、ボイルにインドのことを教えてくれる、映画にとって欠かせない人物だった。だが、映画の撮影が進んでいた最中、彼女の力が最も必要とされる時に、タンダンは「別の映画の仕事があるので、この映画の仕事はできなくなる」と言ってきた。タンダンなしでは、プロジェクトが崩壊するのは目に見えていた。
タンダンがそういう行動を取る理由をボイルは理解していた。インドではごく普通のことだった。「他の仕事がある」というのを取引の材料にして、報酬を上げようとするのだ。ボイル自身も同様のことをした経験がある。競争の激しい世界なので、そこで生き抜く人たちが金銭や成功を貪欲に追い求めるのはごく自然なことだ。
ボイルは、報酬を上げることなく、しかもタンダンの気分を害することなく、彼女に引き続き仕事をさせることに成功した。報酬を上げる代わりに、ボイルはタンダンを共同監督に昇進させたのだ。彼女はその地位にふさわしい仕事をしていたので問題はなかった。それで双方が満足できる結果になった。