「作業中は写真を撮らないで」と頼むことは簡単だが…
だが、それだけではきっとうまくいかない。それはボイル自身もわかっていた。母親からの教えもあり、世の中のほとんどが善人だと彼は信じていたが、一方ですべてが善人でないことも知っていた。
ボイルは、イギリス北西部の都市、マンチェスターのそばで、労働者階級のアイルランド系カトリックの家庭で育った。セカンダリー・スクールの時代は、フランク・マコートの回想録『アンジェラの灰』(土屋政雄訳、新潮社、2003年)ほどではなかったが、それでも過酷には違いなかった。教師たちは皆、厳格だった。ボイルの父親は、14歳で学校を辞め、それ以後は独学を余儀なくされた。その父親からは「攻撃性、頑固さ、根気強さを受け継いだ」とボイル本人は言っている。
そうした性質は、開会式の1年以上前、準備の始まった頃には大きな価値を持った。ボイルは、1万人にも及ぶスタッフをまとめ鼓舞していかねばならなかったからだ。だが、その中のただ一人も、開会式についての情報を外に漏らさないようにするのは容易なことではない。
人間は弱いし、移り気で、他人にも影響を受けやすい。スタッフのうちの少なくとも一部は信用できる人たちだろう。最初に「準備作業中は写真を撮らないで欲しい」と頼んでおけば、ずっとそれを守ってくれるはずだ。だが、それ以外の大半のスタッフがどう行動するかは全体の雰囲気次第になる。
本稿では「人の話を聴くこと」を成功のための大事な要素だとしているが、ボイルの場合もまず、それが重要になった。ボイルがもし、自分を大きく見せるために威張り散らす人で、オリンピック委員会の人たちを、自分たちの邪魔をする「スーツ組」だと言って見下していたとしたら、何を言われても耳を傾けず、何も学べなかっただろう。
「秘密ではなく、サプライズを守ろう」
その場合は、自身も元オリンピック選手で、ロンドン・オリンピックの組織委員会会長を務めたセバスチャン・コーにとっても残念なことになったはずだ。コーは情報漏洩を防ぐための素晴らしいアイデアを持っていたからだ。コーは、そもそも「秘密」という言葉が良くないと考えた。この言葉には危険な響きがあるし、必ずどこかで外に漏らさねばならないもののように思える。「秘密をばらすぞ」という脅迫が成り立つのは、守るべき秘密があると思うからで、そう思わなければ脅されても怖くはない。
コーはボイルに、「守るべき大きな秘密がある」という考えを捨てるべき、と提案した。あるのは「秘密」ではなく、「サプライズ」だ、とコーは言った。サプライズなら、関係者全員で共有している意識を持つことができるし、当日まで明かさずにいる方が喜びも得られる。コーがこういう提案をできたのは、ボイルが「スーツ組」を軽蔑するような人間ではないとわかっていたからだ。
ボイルはコーのアイデアを即、取り入れた。「若者たちはサプライズが好きだし、サプライズなら、秘密のように後ろ暗い感じもない」ボイルはそう言っていた。ロンドン、ダグナムの使われなくなった自動車工場で行われた最初のリハーサルから、新しいオリンピック・スタジアムでの最終ランスルーにいたるまで、どこでもスクリーン上には、“#SaveTheSurprise(サプライズを守る)”という太字のハッシュタグが表示された。